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「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み従来準備し来った政策は之を打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至りました」。これは第二次世界大戦勃発前夜の1939(昭和14)年8月28日、平沼騏一郎首相が退陣を表明した際の著名な一節である。“複雑怪奇”とは、敵国同士であるはずのドイツとソ連が突如「独ソ不可侵条約」を締結したことを指し、「従来準備し来った政策」とは、2年余にわたって、日本がドイツとの間で「日独防共協定」を軍事同盟条約へと格上げするために実施した一連の政策と交渉を意味する。このヒトラーとスターリンの狡猾なマキアベリズムは、全世界に衝撃を与えた末に、日本の外交努力を粉砕したばかりか、時の平沼内閣をも吹き飛ばす破壊力を誇示したのである。
はたして32年後、世界は再び同様の激震を経験するにいたった。今回は米国と中国が主役であった。1971(同46)7月15日のニクソン訪中声明がそれである。声明は、「周(恩来)総理は中華人民共和国を代表して72年5月前までの適当な時期にニクソン大統領を招待する意向を表明した。ニクソン大統領は喜んでこの招待を受諾した」と今回の密やかな米中交渉の結果を簡単に述べた上で、「米中指導者の会談は、米中間の正常化を模索し、両国の直面する共通の問題について意見を交換する」とニクソン訪中の目的を明らかにした。要するに、ベトナム戦争の泥沼化から脱出しようと焦慮する米国と、ソ連からの軍事的圧力に苦悩する中国とが、“米中接近”という政治的利益で一致したわけであるが、とはいえ朝鮮戦争以来20年間も敵対し、互いにイデオロギー上の罵詈雑言の限りを尽くして世界の冷戦構造を長期化させてきた米中当事国が、突然かつ大胆にも急接近するなど一体誰が予想できたであろう。その意味で、この米中接近は戦前の独ソ接近に優るとも劣らない“複雑怪奇”な現象であった。
本書は、この20世紀最大ともいえるミステリアスな歴史的真実への挑戦である。
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