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<妻>の歴史 特別寄稿

『<妻>の歴史』訳者による特別寄稿 

<妻>たちを参照する

 

 



日本語版に寄せて
     マリリン・ヤーロム



<妻>たちを参照する
         林ゆう子


『<妻>の歴史』は3月下旬刊行予定です。
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しい視点を獲得する

どうする? 結婚。どうする? 子ども。いかにすべきか少子化問題。……煮詰まったら、一息ついて俯瞰しよう! 視座を引き上げて、参照点をガッと増やすのだ。例えば現在地を1500分の1の縮尺で検索しても見えなかった情報が、縮尺を上げてズーム・アウトすればザクザク出てくるように。

 

 本書は、地球の反対側の、主に欧州系の<妻>たちの状況を時空軸に沿って立体的に提示するものだ。イヴからヒラリーまで、先人・同時代人の<妻>たちが置かれた状況、切り拓いた状況を参照するうちに、自分ひいては日本社会の現在地が意外と、例えば、中世に近かった、などと気づかされるかもしれない。そうしたらしめたものだ。そこには現実的な問題解決のヒントが隠れているかもしれないのだから。

 

ところで<妻>というのは相対的な肩書きである。女性は常に誰かの母親、妻、姉妹、娘という「相対的な生き物」だとする見方があるが、19世紀の米国にはすでにこれを断固として受け入れなかった女性がいた。女性の権利活動家エリザベス・ケイディ・スタントンは、半世紀近いキャリアをもった「妻」であり、7人の子どもの「母親」でもあった人物だが、女性には参政権すらなかった1892年の下院司法委員会で次のように主張した。「女性たちがどんなに依存し、守られ、支えられることを望んでいるにせよ、また、男性たちがどんなに女性にそうすることを望んでいるにせよ、彼女たちは人生を独りで旅しなければならない」(本書より)。 日本では明治25年、第1回帝国議会開会から2年目にあたる年のことである。100年以上を経た今、この発言が「宣告」に聞こえるか、それとも共感を覚えるかは、読者の心の現状次第であろう。本書を一読後に、「宣告」が「共感」に変わったならば、読者の現在地が少し移動した、つまり内なる小さな革命が起き、新たな視点が芽生えたということではないだろうか。
 

 

 余談になるが、数年前、ある有名宝飾品ブランドの広告に、(うろ覚えで恐縮だが、)「独りでも生きてゆける二人が一緒に暮らすのが結婚」というような文が添えてあって印象的だった。スタントンの制度論とは異なり、こちらは精神論の意味合いが濃いと思われるが、それにしてもこのような指輪の広告が異彩を放って感じられるのが、日本の現状である。この広告にどれほどの反響があったのか、個人的には興味をそそられるところだ。

 

本(と自分)に軸足を置いて読む

日本史上、「妻の鑑」と言えば、内助の功で有名な山内一豊の妻千代だが、彼女が夫の上司の妻に献上するパッチワーク小袖をせっせと縫っていたのとほぼ同時代に、英国ではシェークスピアが『じゃじゃ馬ならし』をせっせと執筆していたのかもしれない。ちなみに本書によれば、欧州では「内助者としての妻の役割」を「一部の特権的女性たちが表立って担うようになった」のは1700年代のこととされている。異なる文化圏における<妻>の地位の山と谷は、当然ながら重なるわけではないのだ。また、それぞれに揺り戻しを経験しながら進んでゆくので、どちらが先発とも後発とも一概には断定できない。

 

 こんにちの日本では、既婚者・未婚者を問わず、男女のパートナーシップに対する考え方に変化が見られ、「結婚に利点を感じない」未婚者は、男性の3分の1、女性の4分の1に達しており、結婚する積極的な理由が見つからないために「結婚しない」傾向も認められる(国立社会保障・人口問題研究所「第12回出生動向基本調査」、2002年実施)。

 

 このように、伝統的な意味合いにおける<妻>の存在意義が揺らいでいる今だからこそ、未婚・既婚・性別・職業を問わず様々な立場の個人が、歴史を振り返り、自分はこれからどのように人生を歩んでゆきたいのか、どんな社会を希求するのかについて思いをめぐらすことは、時間の無駄遣いではなかろう。

 

 そのためのツールを提供するのが本書だ。法律、宗教、政治、経済、神話、文化人類学、社会学、文学、広告、諷刺画をはじめとする諸分野の膨大な文献と、市井の女性たちが書いた手紙、日記などの資料にあたった著者マリリン・ヤーロムが編んだ、歴史の一バージョンである。

 

ントを発掘する

本書は研究テーマを決定するという大関門に突き当たっている学生にとっては、ヒントの宝庫である。「宝探し」のつもりで読み進んでいただきたい。ただし、出来合いのテーマがどこかのページに列挙されているわけではない。登場人物や特定の事象にピンと来たら、あるいは、放っておけないほどの反発を覚えたら、そこが掘り下げどころであろう。

 本書の方法論は、歴史を、緩やかに変化する日常や心的態度の連綿とした流れとしてとらえている点においてアナール派のアプローチに近いのかもしれないが、個別事象・分野の研究文献としては未消化な部分がある。ヒントが見つかったならまず関連した先行研究にあたって、掘り下げてゆく方向性を探ってみるのがよいのではないだろうか。幸運を祈ります。

 


 

 

 
訳者プロフィール:林ゆう子

1989年よりフリーランス翻訳者。東京在住。 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。

 

 

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