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巻頭随筆

アタッチメント理論の「今」を探る    遠藤利彦

 

 アタッチメント理論の創始者たるジョン・ボウルビィ(イギリス出身の精神科医。1907―1990)が逝(ゆ)いてから、既に四半世紀以上の時が閲(けみ)しています。しかし、人の生涯にわたる発達やそこに生じ得る様々な病理の基本原理を、人が恐れや不安に駆られながら特定他者に何とかくっつこうとすること、すなわちアタッチメントという視座から読み解こうとした、その彼の慧眼(けいがん)は、近年、ますますより強い輝きを放って、私たちの心を魅して止まないものになってきているのかもしれません。

 現在、アタッチメント理論は、実に多方向的な発展を見せています。それを強いて三つの流れに要約していえば、そのうちの一つは、「進化生物学的方向性」といえるでしょう。ボウルビィが自らの理論構築にあたって、当時、隆盛化しつつあった比較行動学に依拠したことはよく知られるところですが、そうした彼の発想の妙が、現代進化科学の枠組みから再吟味され、ヒトという生物種に元来、普遍的に備わって在るアタッチメントの進化生物学的基盤が、それに絡む神経生理学的機序も含めて、飛躍的に解明されつつあります。二つ目の流れは、「生涯発達心理学的方向性」といえるかもしれません。ボウルビィは、一人ひとりの個人が、ヒトとして共通の生物学的基礎を有しながらも、幼少期の被養育経験の差異に由来して、固有の対人関係スタイルやパーソナリティを形成するに至ること、そしてそれらが生涯にわたる心身の適応性を大きく左右し得るということに、ことのほか、強い関心を持っていました。そうした彼の関心が、現在、世界各地で展開されている複数の長期縦断研究において実証的検討に付され、人の生涯にわたるアタッチメントやパーソナリティの連続性と変化、またその世代間伝達に関して、分厚く知見が蓄積されてきているのです。そして三つ目の流れが、「臨床実践的方向性」といえるでしょう。ボウルビィは、精神分析、特にクライン学派のトレーニングを受けて、精神科医としてのキャリアを出発させたわけですが、徐々にそれに強い違和感を覚えるようになり、結果的に精神分析の世界を去ることになります。しかし、彼は、最期まで一臨床家としての矜恃を保持し、難しい精神病理の事例とも向き合い続けたということが知られています。

 実のところ、彼にとってのアタッチメント理論は、人の生涯発達の過程と機序を説明するだけではなく、時にそこに生じる不適応や病理を理解し、それに基づいて有効な臨床的介入を行うためのいわばプラクシス(praxis)の理論として在ったといえます。例えば、幼少期の発達過程において生起し得る種々の心的外傷についても、彼は、それが、子どもがただ虐待等の悲惨な行為を受ける中だけで生じるのではなく、むしろそれによって生じた極度の恐れや不安等を誰からも適切に慰撫されないまま放っておかれること、すなわち累積的なアタッチメントの失敗によって生じ深刻化することを前提視し、それに基づいた臨床実践の必要性を説いていたのです。おそらく、近年のアタッチメント理論の展開の中で最も大きなうねりとして在るのは、こうした臨床家としてのボウルビィの基本発想へ、原点回帰が進んできているということなのかもしれません。

 もっとも、現代のアタッチメント理論が、いまだにボウルビィが掲げた諸前提に縛られて在るわけではありません。厳しい批判にさらされ、既に否定されている考えもあります。そうした点も含め、アタッチメント理論の「今」を本特集から知っていただければ幸いです。



 
執筆者紹介
遠藤利彦(えんどう・としひこ)

東京大学大学院教育学研究科教授。博士(心理学)。専門は教育心理学、発達心理学。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。九州大学大学院人間環境学研究院助教授、京都大学大学院教育学研究科准教授などを経て現職。著書に『アタッチメント』(共編著、ミネルヴァ書房、2005年)、『アタッチメントと臨床領域』(共編著、同、2007年)、『「甘え」とアタッチメント』(共著、遠見書房、2012年)、『「情の理」論』(東京大学出版会、2013年)ほか多数。

 
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