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立ち読み
巻頭随筆

自尊感情に思う     前田重治

 

人がこの世を生きてゆくには、何らかの支えが必要であろう。それを外の世界に求める人もいれば、自分の心のなかに持っている人もいる。自尊感情というのは、自分の心のなかにあって自分を支える上で欠かせない大切な感情であると思う。

 幼い頃のわたしは病弱で、内気で、人見知りする弱虫だった。よく風邪をひいたし、4、5歳のころには二度も肺炎にかかって死にかけたらしい。昭和初期の話である。今でもうっすらと覚えているが、薄暗い座敷の枕元で大騒ぎしていた大人たちの黒い影?それは夜中に酸素吸入が必要になって、みんなが大慌てしていた姿らしい。結婚から10年目にできた子というので、大事にされ過ぎて、心も体もひ弱だった。

 いつも母親にくっついていて、そばで本を読んだり、絵を描いたりして遊んでいた。海から朝日がのぼる絵をほめられたことを覚えている。幼稚園にも2年間ずっと母に付きそってもらっていたわたしにとって、一人で小学校に通うということは、最大の難事業に思われた。しかしそれは、担任の若い女の先生の、やさしい笑顔で救われた(母が陰で頼んでいたような気もするが)。よく目をかけてもらっては、「おとなしくて行儀がいい」と、みんなの前でほめられていた。その先生の暖かさのおかげで、わたしは不登校やひきこもりにはならなくてすんだのだろう。やさしくて好きな先生から認められて、可愛がられたことで、母親から離れることができた。

 3年生になると、昔は男女それぞれ別のクラスに分けられていた。わたしの男組は、軍隊帰りの若い男先生になったが、剣道二段という大きな声の元気のいい先生だった。たしかに厳しいところもあったが、きちんとしていればやさしい先生だとわかってきた。そして、休み時間にいろいろと面白いお話を聞かせてもらうのが楽しみになった。そのうちに、わたしに読む力があることが認められて、よくみんなの前で童話や物語を朗読させられた。得意になって大きな声で読んでいた。先生やみんなからほめられようと、がんばったものである。

 こうして段階的に、自分に自信がついてきたのは、幸運だったと思う。しかしこれは、わたしだけの特別な体験ではないと思う。クラスのみんなは、それぞれ折に触れて、走るのが速い、手先が器用だとか、家でよく手伝いをするなどと、ほめられていた。そこで自分の「取柄」(長所)の種類や程度は違ってはいても、それぞれに自分を肯定できる体験をしたものであろう。

 よく「ほめれば伸びる」と言われている。それは自尊感情を高めて、やがては自己肯定感につながり、向上心を生むのであろう。しかしながら、そこにはその前提として、自分の存在が認められ、ほめる人との心の交流が必要なようである。母親やその代理者に、受け入れられているという確信と、心の通じ合いがあってこそ、自尊感情は高まってくる。精神分析では、そこでの信頼感と共感の原型は、母親であると考えられている。

 世の中では、自尊心が傷つくようなことも多いが、そうした基礎に立った自尊感情は心の心棒として自分の支えになっているので、きっと立ち直ることができる。単なる言葉の先だけのほめ言葉では、そうした効力は弱くて長持ちしないのではなかろうか。


 
執筆者紹介
前田重治(まえだ・しげはる)

九州大学名誉教授。医学博士。専門は精神分析学、カウンセリング。九州大学医学部卒業。九州大学医学部精神科、心療内科、同大学教育学部教授を経て1991年に定年退官。著書に『図説 臨床精神分析学』(誠信書房、1985年)、『芸論からみた心理面接』(誠信書房、2003年)、『図説 精神分析を学ぶ』(誠信書房、2008年)ほか多数。

 
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