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巻頭随筆

3・11に始まる未曾有の例外状態の存続     加藤 敏

 

 東日本大震災・原発事故が突発してから丸2年が経過しようとしている。しかし、とりわけ福島の被災地は、特異な例外状態が存続したままである。例外が平常状態になってしまっているという異常事態である。例えば、仕事を失い、仕事をすることなく仮設住宅で「無為の」生活を強いられている人が多い。(上野―仙台間を走る)常磐線は、いわき市より北の地域はほとんど不通のままになっているし、(東京―仙台をつなぐ)国道6号線もこの地域では寸断されたままになっている。

 復旧が遅れている一つの大きな理由は、放射線量が高い地域が多いので、工事が困難であるためであるようである。例えば、東京から、福島第一発電所以北の、そこから最も近い移住可能な町である南相馬市に行くには、福島市から1時間30分あまり車で山道を通って行くしかない。福島県のなかには陸の孤島になっている場所がかなりあるようであるが、この街もその一つである。

 とりかえしのつかない放射能汚染に端を発する例外状態が2年余りも存続するなかで、あらたに絶望の淵に追いやられ、うつ病を中心とした精神疾患が増えてくることは間違いない。

 われわれの大学精神科では、南相馬市にある精神科病院に医師不足のため医療支援に行かせていただいている。この病院では、原発事故のため緊急避難勧告が出た関係で、3・11の時点で入院していた患者さんはすべて、栃木県や茨城県など他県の病院に転院となっている。2012年1月より入院医療を再開し、一つの病棟のみが稼働している。そのため、現在入院しているのは、震災後、病状が悪くなって入院となった人が大半である。患者さんの病態を俯瞰すると、何らかの形で、震災・津波・原発事故が要因になっている震災関連事例がきわめて多い。そこには、震災が福島の被災地の人々にもたらした例外状態を、先鋭化し凝縮した形でみることができる。

 例えば、アルコール依存に陥ったため、自ら希望して入院してきた中年の男性患者は、次のように入院の経緯を語る。

 もともと農業をしていたのだが、津波が押し寄せ、家が流されるだけでなく、田んぼが海水につかり農業ができなくなってしまった。両親は先祖代々住んできたふるさとを、どうしても離れる決心ができないため、本人は両親の面倒をみることを考え、両親とともに地元に残ることにし、仮設住宅に住むようになった。妻と子どもは日本海側の地域に避難し、家族離散の生活となった。適当な仕事がみつからないので、全く不慣れな除染の仕事を始めた。放射線量が上がってくると、多く午前中でこの作業をやめなければならず、放射能に対し恐怖感をもちながらの仕事だった。除染の仕事は遅々として進まず達成感はまったくなかった。結局、除染の仕事はやめ、無職になった。放射能が怖く、飲み水はすべてペットボトルの水にしている。

 このような仕事なしの状態で、家族離散の生活をいつまで続けるのかと、先の見えない将来のことを沈鬱な気分で思い巡らし、いらいら感、不眠が強くなり、アルコール量がだんだん増え、抑えがきかなくなってきたという。隣の住宅の物音が筒抜けで、窮屈な仮設住宅での生活も大きな「ストレス」になったという。

 病像の根底に、いかんともしがたい修復不能な重い喪失体験、時の歩みの著しい遅滞、加えて放射能に対する恐怖があることは間違いない。そうした背景のなか、この男性のように、抑うつ関連のアルコール依存(ないしその傾向)が増えているようである。原発から20q圏内、30q圏内に住む人は、「精神被害」があることを申し出ると、毎月そこそこの「補償金」が東電から支給されるという。もしもこのお金がアルコール過剰摂取の一因になっているとすれば、これも困りものである。もっとも「補償金」またアルコールは、理不尽な重度の苦悩に対し、多少なりとも軽減効果があることも認めなければならない。

 仕事を失った人には、あらたに将来へと押し出してくれる力をもたらしてくれる、安心できる仕事の創出が望まれる。社会的参加をする機会を与えられることなしに、賠償金だけ支払われ、仮設住宅で生活をすることは、人間としての尊厳を剥奪した収容所生活を強いることである。もしも、震災・原発事故の「被災者」「被害者」ということだけが、人々の社会的同一性の拠り所になってしまったのでは、将来への歩みに大きな支障をきたし、精神衛生上きわめてよくないのは言うまでもない。

 現代の国家は、政府が国民の健康への配慮を全面的に引き受け、統治することを重要な課題としている。それは医療領域における「生(せい)政治」(biopolitique ミシェル・フーコー)と言える。国家レベルでの禁煙の推進、メタボリック症候群対策などその好例で、一部で「健康ファシズム」という言葉が流布しているように、産学共同の全体主義的な性格が濃厚である。わが国における大量の原子力発電所の建設は、人々の福祉のさらなる向上を目指して始められた事情からして、多くの国民の(暗黙の)賛同のもとでなされた産学共同の生政治の所産という側面をもつことは否定しようがない。したがってそこに、企業・大学・国民の共犯性があることは否定しようがない。3・11以降、食品や建物の放射線量検査に端的に示されるように、原発事故によってますます「産学共同の生政治」が国民からも要請される事態になっている。いまやこの統治形態を全面的に廃棄することはきわめて難しい。

 われわれは、一筋縄ではいかないこの問題について、批判精神、自己批判の態度を堅持しながら、政府をはじめとした行政機関には、よき「大医」としての施策実践を期待したいものである。

 
執筆者紹介
加藤 敏(かとう・さとし)

自治医科大学精神医学教室教授。医学博士。専門は精神医学。東京医科歯科大学医学部卒業。フランス政府給費留学生としてストラスブール大学医学部精神医学教室にて研究後、自治医科大学へ。2000年より現職。著書に『人の絆の病理と再生』(弘文堂、2010年)、『統合失調症の語りと傾聴』(金剛出版、2005年)、『創造性の精神分析――ルソー・ヘルダーリン・ハイデガー』(新曜社、2002年)など。

 
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