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巻頭随筆

2011.3.11と子ども     清水將之

 

 私は、災害問題の専門家ではない。

 しかし、生きてきた時代の運命から、災害への関与をあれこれ余儀なくされてきた。学童期に「大東亜戦争」が始まり、食欲がもっとも旺盛な年頃は敗戦後の飢えた時代であった。戦争も、将校にとっては職業行為だけれど、市民にとっては災害である。

 還暦の年には、阪神・淡路大震災がやってきた。日本児童青年精神医学会理事長という立場にあったので、神戸市児童相談所を拠点に被災児の支援活動を組織した。本邦では初めての試みであり、すべてが手探りであった。その経験を持って1999年秋、トルコ西北部および台湾中部の大地震でもそれぞれ1週間お手伝いに参上した。年齢の事情で、中越大地震や東北大地震・津波には、間接関与に留めた。

 2011年3月に起こった大災害は、これまでに経験したものとはまったく異なる側面をわれわれに見せつけた。「フクシマ」という21世紀日本が密かに準備してきた歴史的現実を突きつけられたということである。

 これまで繰り返された「救援・復興支援活動」などという祝祭的行動の意味は吹っ飛んだ。岩手にも宮城にも悲惨な被害状況が広がっていることは、若干ながら見てきた。遺児のこころのケアにも参加した。だけど、日本人史の視点からみれば、次世代にまで危険が波及する虞(おそ)れが大きな「フクシマ」が、他の全てを凌駕している。にもかかわらず、その部分がもっとも空白に近いことが恐ろしい。広島原爆被害に隠されていた、翌9月に広島を襲った台風被害を取材した柳田邦男(『空白の天気図』文春文庫、2011年。初版は1975年)と同じ視点に立つ必要がある、と私は考える。

 多様な職種による福島県への支援活動は行われているけれど、規模は岩手や宮城ほどには大きくなく、報告も少ない。報道量も格段の落差がある。東京電力や政府からの情報開示が乏しいことと、これは連動しているのであろうか。私の世代は、こういうところで、ふと、「大本営発表」という過去を思い出してしまう。そのことを分析するにはあまりに紙幅が乏しい。

 福島県が沃素剤を準備していたにもかかわらず、県内の子どもたちへ直ちには配布されなかった現実は恐ろしく、被災地の女の子たちが「大人になってから、私は結婚できるの? 子どもを産むことができるの?」と悩んでいる現実は、誠に誠に切ない。佐野眞一(『津波と原発』講談社、2011年)その他、原子力問題の背後に横たわる暗部を明かす書物が相次いで刊行されている。

 一部の人間の思惑や都合によって、危険が予め明らかであった企画を進めた結果、大きな不幸が発生した。おとなも被災者ではあるけれど、将来に続く子どものいのちの危険性、次の世代にまで続く不安・恐怖、故郷の放棄などなど、子どもが背負ってしまった重荷は巨大である。

 どこに視座を設定するかによって見えてくるものが異なってくるということの、これは好例ではないか。子どもに関わる職種は、分業や協業ではなくて一つの枠組みで括られるべき営みであるとして、私は「子ども臨床」ということばも作ってみた。

 だけど、今回の大災害に関しては、《子どもの目からみて、どういうことが起こっているか》、この視点がまだ、まったく成立していないのだ。

 
執筆者紹介
清水將之(しみず・まさゆき)

三重県特別顧問(こども局)。専門は児童青年精神医学。大阪大学医学部卒業。大阪大学、名古屋市立大学、三重県立こども心療センターあすなろ学園園長を経て、現職。著書に『子どもの精神医学ハンドブック(第2版)』(日本評論社、2010年)、『新訂 子ども臨床』(日本評論社、2009年)、『災害の心理』(創元社、2006年)、『災害と子どものこころ』(編著、集英社新書、2012年)など。

 
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