Browse
立ち読み
巻頭随筆

自分の感情や気持ちを伝えること  平木典子

 

 人の一生は、自分の気持ちを伝えることから始まっている。ほとんど誰も覚えていないのだが、誕生と同時に大声をあげて泣く赤ん坊は、肺に空気を入れようとしながらも、生まれることがいかに大変だったかを訴えてもいる。その泣き声は、それまで体験したことのない強烈な不快感・苦しみの表現であり、「助けて!」という絶叫でもあるだろう。

 生誕直後に赤ん坊をへその緒が付いたまま母親が抱いて声かけをすると、間もなく落ち着いてくるという。順調な生誕であれば生理的な不快感はやがて鎮まるので、母親との身体接触と聞き慣れた声音は、母体から切り離された赤ん坊の恐怖や不安に心理的安定をもたらすのだろう。また、2歳以前の子どもに「生まれてきたとき、どうだった?」という質問をすると、言葉は拙いながらも「あんなこと二度と体験したくない」といった意味の返事が返ってくるという。2歳を過ぎると「そんなこと言ったっけ?」となるそうだが、いずれのエピソードも赤ん坊の生死の脅威に打ち勝とうとする必死さや母体内の心地よさを奪われる哀しみや痛みを想像させる。また、乳幼児が喜怒哀楽などの気持ちを区別したり、言葉で表現したりできないとき、泣くことでお腹が空いた、具合が悪い、寒いといった生理的不快感や、嫌い、寂しい、怖いといった心理的状態を訴えることの重要性も分かる。

 私たち大人は、赤児の生誕の苦痛や乳幼児の体験している不快感をすべて取り除いてあげることも完璧に理解することもできない。ただ、唯一できることは、泣いて危機を訴えている子どものそばに寄り、声かけをして状態を分かろうとすることであろう。それは、子どもを受けとめようとする態度と不快感を和らげようとする気持ちを伝えることになる。

 たとえば、転んで泣いている幼児に「大丈夫?」とか「痛かったね」といった言葉かけをすると、受けとめようとする親の声音や態度が伝わり、子どもは落ち着くかもしれない。子どもがさらに泣き続けたら、続けて思いやりや共感を伝えようとしてみると、「まだ、痛い!」とか「違う!」などの訴えが分かるかもしれない。逆に、気持ちが受けとめられなかったり、「いつまで泣くんだ!」とか「黙れ!」といった攻撃を返されると、子どもは、転んだときの気持ちが受けとめられない哀しみと親の気持ちを押し付けられる重圧に圧倒されて、激怒や沈黙を返すかもしれない。受けとめられ、理解されないとき、人は最初に感じた気持ちを見失い、伝えることの空しさを味わう。

 子どもたちは生命を脅かされることに対する怒り、喪失(受けとめられないこと)に対する哀しみ、危険に対する恐怖などの感情表現を通して、気持ちが受けとめられることの意味を体験する。いわゆるマイナス感情と言われるこれらの感情は、実は、生命の危機を知らせるための救助信号であり、それらが受けとめられたとき子どもは安心感や喜びを体験し、受けとめられないとき居場所のなさや危機を味わう。前者をより多く体験した子どもは、気持ちを伝えることに積極的になるだろう。

 感情や気持ちは、人々が生活に適応するための重要な機能を果たしているのである。

 
執筆者紹介
平木典子(ひらき・のりこ)

東京福祉大学教授。専門は臨床心理学、家族心理学。ミネソタ大学大学院修了。立教大学カウンセラー、日本女子大学教授、跡見学園女子大学教授を経て現職。著書に『改訂版 アサーション・トレーニング』(日本・精神技術研究所、2009年)、『図解 自分の気持ちをきちんと〈伝える〉技術』(PHP研究所、2007年)など多数。

 
ページトップへ
Copyright © 2004-2010 Keio University Press Inc. All rights reserved.