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立ち読み  
巻頭随筆  第55巻8号 2007年8月
からだとこころと集中力         成瀬悟策
 
刺激図形
  いま刺激図形Aを網膜面に位置を固定して提示し、それに注視させると、はじめAに見えたものの一部分が消えてBやCになる。消えた部位は疲労によるが、回復すればまた見えてくる(図1)。固定しなければAの構成要素が消えたりはしない。刺激を受ける部位を、疲労していない網膜面へ自由に移せるからである。
 対象を誤りなく確かめ、事柄や状況を的確に把握・分析して適切な理解や判断・対応できるのは、それに集中するからである。集中できるには、そうしようとする努力が要る。この努力で生まれる緊張感の対象志向性が状況に相応しい強さのとき、自分がそれにうまく集中していると実感する。緊張感が弱いとか強すぎるとかすれば、適切に集中しているとは感じられない。この実感を支える緊張感は、力を入れることで生じる筋緊張という自分のからだの微妙な感じである。
 ある事柄に注意を集中するのも前述した視覚の場合と変わらない。からだへの力の入れ方が固定したまま変わらないと、その筋群は疲れて有効な緊張が衰え、有害な緊張と、それがからだに残留・蓄積して、非活性化するので、緊張感も不安定・曖昧となり、いきおい集中実感もその安定性が崩れて動揺し、調整力を喪い、気が散りやすくもなる。
 そうならないためには、力の入れ方を固定せず、緊張の程度を適度に変えたり休めたり、からだの部位や筋群を微細に変化・交替しながら、有害で蓄積し易い緊張を充分にリラックスして活性化をはかり、こころに新鮮で有効な緊張感を維持し続けられることである。すなわち、こころの集中力は有効で活性的なからだの緊張との密接な関係から生まれるもので、その間を微妙に調整しているのが状況に集中する当人自身の努力である。
 この努力は誰もが無意識的にやっていることで、それがうまくできることもあればそうでない場合もあり、対象への興味・関心やその時の気分などで変動する。過度に緊張して頑張りすぎたり、気乗りせず、固定観念に縛られ、拘(こだわ)り、思い詰めたりすれば集中力は低下する。からだがリラックスして動きが楽で余裕があり、興味の赴くまま自由・創造的に展開できるようだと、集中力は高く持続する。
 こういうと大変難しいようだが、実は誰でもがごく自然かつ有効にうまくやっている。作業中に頸や肩、背中や表情など、からだのあちこちに力を入れたり、動かしたり、ひとりごとも言う。休みも入れれば、欠伸(あくび)や背伸び、腰や脚の運動、深呼吸や大声、手足や躯幹の簡単な体操、歩くなど、数えればきりがない。誰に教わるでもなく、おのずと自分のやり方を身に付けながら、多くは無意識である。下手に意識すれば却って集中力を削がれる。
 最後に、集中力を高めるのに有効とされる方法の一例を挙げておこう。椅子坐位での躯幹部の前屈(ま)げ・後反らし、左右屈げ。それもゆっくりとできるだけ深く充分に屈げ、数呼吸おいてゆっくり戻す。戻した状態で弛んでゆくからだの感じをじっくり身に沁みて味わう。充分に味わいながら気持ちを整えて、本来の作業へと集中することになる。
 
執筆者紹介
成瀬悟策(なるせ・ごさく)

九州大学名誉教授。医学博士。臨床心理士。専門は、臨床心理学、教育心理学。臨床動作法の創始者。東京文理科大学心理学科卒業。九州大学教育学部教授、九州女子大学・同短期大学学長などを経て現職。著書に『動作訓練の理論』(誠信書房、1985年)、『講座・臨床動作学1?6巻』(編著、学苑社、1995?2003年)、『リラクセーション』(講談社、2001年)、『動作のこころ』(誠信書房、2007年)など多数。

 
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