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立ち読み  
編集後記  第63巻9号 2015年9月
 

▼育児の不安と不満は、一見似ているが違いも大きい。意味を考えると、「不安」は安の否定形で安心できない状況、「不満」は満の否定形で満足できない状況を示している。また「育児不安」は1つの単語として使われるが、「育児不満」という言葉は一般的ではない。そのほか、育児不安は育児をする人自身が焦点になるが、不満の場合、不満を感じるのは本人とはいえ、その焦点は自分以外のものである。例えば夫の育児参加の少なさ、あるいは妻の育児方法、祖父母の育児に対する姿勢、育児支援サービスの少なさなどがあげられるだろう。

▼育児不安は、取り上げられることも多い言葉だが、不満はなかったはずはないのに、あまり注目されてこなかった。不満は周囲に向けられるため、わがままや辛抱しない、といったネガティブな響きがつきまとうためだろうか。しかし、育児の不満を単にわがままとしてとらえることに筆者は違和感を覚える。すべての場合ではないが、そこには育児は大変なのは当たり前、頑張るのが当たり前、という考えが透けて見えるからである。

▼個人的な体験で恐縮だが、某自治体の保健医療政策の方向性についての検討会に参加した際のことである。
 社会的地位のある方々や市民の代表の方等で構成された会の中で、妊娠・出産・育児に関する保健医療の方向性の検討が行われていた際、その主語はすべて「母親が……」であった。
 その際筆者は「妊娠や出産は母親のことだけではないので、父親や周囲のことも含めて考えるべきではないか」という意見を、厚生労働省でも母子保健から親子保健という用語への切り替えの検討が行われていることも含めて述べた。すると、社会的な地位のある方々の反応は、失笑(冷笑)であった。母親がすることが前提での話に「不満」を述べた私は、会の流れを読めない困りものになったわけである(ちなみにこれはごく最近のことである。会の終了後に、私の発言を支持する声をいただいたことも、付け加えておく)。

▼不満は、自分のこうありたいという考えと現実が違った時に生じる。核家族で自分もフルタイムの仕事を持ちながら育児をする母親が、「父親が育児参加をしない」という不満を持つことはわがままだろうか。こうありたい姿≠ェ人として健康な生活が維持できるレベルを求めていても、そうなっていない現実を口に出してはいけないのだろうか。わがままというのは、自分では努力しないで周囲のせいにする場合や、こうありたい姿があまりにも現実とかけ離れている場合をいうのではないかと思う。

▼過去に「するのが当たり前」とされていたことのひとつに介護がある。介護に「介護不安」という言葉はないが、「介護負担」という言葉はある。
 育児の不満をわがままと直結させるのではなく、育児の困難さの側面(負担)としてとらえてみることも必要ではないかと思う。

 

(鳩野洋子)
 
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