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立ち読み  
編集後記  第63巻7号 2015年7月
 

▼「先生方、研修好きですか?」と教員研修の際、時々先生方に問いかける。ほとんどの先生方はうつむき、苦笑いである。「先生の学級の子どもたちは勉強が好きですか」と聞いてみると、どうなのかわからない状態である。日本では「勉強が好き」と答えることに抵抗があるのであろう。これは、中学校から「まじめにしていると友達から何と思われるか」と不安になるという気持ちと相通じるものがあるのではないかと思う。

▼海外調査に行った大学の学生たちに講義の終わりに「君たちは勉強・研究が好きですか?」と聞いたことがある。フィンランドのオウル大学、アメリカのコロンビア大学、オーストラリアのメルボルン大学である。ほとんどの学生が「好き」に手を挙げた。オウル大学の学生は、その後私のところに来て、「先生は、どうしてあのような質問をしたのですか」と尋ねてきた。私が「日本の学生は、まじめな学生も多いが、講義中に寝たり、講義を聞いていなかったりする学生がいるから」と答えたら、「大学は研究するために入学するところではないのですか?」と聞かれ、答えに窮してしまった。

▼日本では約6割の学生が大学(短大も含める)に進学する。フィンランドの大学進学率は約2割である。大卒ではない職人もその技術力で尊敬されているという社会文化的背景がある。そして、大学は自ら学ぶところであるという認識が、学生の側にも大学教員の側にもある。日本の大学は、研究重視から教育重視に転換してきている。そのことからも、大学が高校化している気がしてならない。学生に主体性を持たせたいが、持たせるために教育や学力を重視するあまり、主体性をスポイルしているという矛盾をはらんでいるのではないか。その矛盾を克服するためには、小学校から大学までの、教育のあり方をもう一度再検討する時期に来ているのだろう。

▼本号の特集1は、「教師と生徒のコミュニケーションを考える」である。双方のコミュニケーションが一方通行であると、授業もおもしろくないであろう。また、生徒指導上の問題も解決しない。教師のコミュケーションの力量を高めることが、児童生徒のやる気を引き出し、学力を高めることにもつながっていく。また、不登校やいじめなどの生徒指導上の課題を解決するための土台である。教師のコミュニケーション力が向上すると、児童生徒だけではなく、同僚との関係もよくなり、学校力も向上していくであろう。

▼特集2は、「勉強ぎらいの子どもを支える」である。人間は誰でも好奇心を持っている。その好奇心が、学習意欲の根源だと考えている。勉強ぎらいの子を作ったのは教師や親である、という認識が、第一に必要であろう。その認識の上で、勉強ぎらいになった子どもたちをどう支えていくのか、考えていく必要がある。

▼教師も子どもたちも、「やらされている」ことは、なかなか好きにはならない。学力偏重主義に向かっている今の日本の教育、学力は大切だが、教師も子どもたちも、もっと自由にやりたいことがやれて、みんなから認められる学校や社会になることが大切だと考える。

 

(増田健太郎)
 
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