▼新型インフルエンザが猛威をふるっている。これを書いている10月の段階でも感染の勢いはおとろえず、教育機関は対応に追われている。修学旅行、体育祭、それが終わると入学試験と、学校は大きな行事がめじろ押しで、生徒はもちろん、教員や親も不安と緊張を強いられている。つい先日も、仕事先の北海道で東京からの修学旅行生の一団に出会った。抜けるような青空と澄み切った空気の洞爺湖畔を整然と行く白いマスク姿の集団にはいささか違和感をおぼえたが、一方で日本のゆきとどいた保健教育の一端を見たような気がした。
▼感染症に対するこのような日本の学校のきっちりした対応ぶりを見て思い浮かんだのは、かつてタイで見た、別の感染症に対する小学校の取り組みだった。つい最近までタイは、世界でも有数のエイズ大国だった。しかし、政府はいうまでもなく、メディアや観光産業も巻き込んだ包括的なエイズ対策が功を奏し、現在は感染者、患者数ともに大幅な減少を見せている。
▼村落調査でタイ北部を訪れた1990年代半ばころは、まだ政府の予防政策が始まったばかりであり、感染者や患者も急増していた。たまたま訪問した小学校の教室で見かけたエイズ教育の教材(コンドームの装着手順や性交の様子を模した大型の模型)にはかなり違和感をおぼえたものである。
このような小学校段階での予防教育の背景には、タイの子どもたちを取り巻く社会状況がある。多様な民族や根深い貧困をかかえるタイでは、中学への就学率も100%とはゆかず、小学校を出てすぐに大人と一緒に働く子どもも少なくない。彼らはそのまま大人の世界の誘惑と隣り合わせで生きることになる。タイではHIVの主要な感染ルートのひとつがセックスワーカーである。小学校という早い段階できちんとした性教育をしなければならない理由は、こんなところにあるのだ。
▼タイの小学校での性教育に対する違和感は、村で調査を続けるうちに次第に危機感に変わっていった。村の中でまだ年若い男性の葬儀がたびたびもよおされ、その死因についてそれとなく伏せられる場面に出合うにつけ、日本から来た能天気な研究者も次第にことの重大さを理解するようになった。身近な危機として認識しない限り、人間はなかなか動こうとしないし、真剣に考えないものなのだ。 ▼さて日本である。先進国の中でHIV新規感染者が増加し続けている唯一の国とか。性教育バッシングが世間をにぎわすことはあっても、新型インフルエンザのような危機感に満ちた対応は見られない。もちろん、感染症の種類も対象者も全く異なるわけで、同じような対応を期待するわけにはゆかないだろう。しかし、「いまそこにある危機」ではないけれど、実は国内で「静かに広がりつつあるもうひとつの危機」があるのだということを、学校現場も心のどこかにとどめておく必要があるだろう。 |