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立ち読み  
編集後記  第56巻10号 2008年10月
 

▼仕事柄、海外からの留学生たちと話をする機会がある。アメリカやカナダ、メキシコ、ドイツ、フランス、中国からの留学生たちが中心である。講義の合間に、日本で生活してみて印象の残ることは何か尋ねてみると、なかなか面白い話を聞くことができる。
 たとえば、アメリカからの留学生が、コンビニでも美容室でも居酒屋でも、お店に入っていくと必ず「いらっしゃいませ!」と店員から元気な挨拶の声がかかることが不思議だと感じた、と話してくれた。これには、周りの多くの留学生がうなずいていた。特に、客の顔も見ないで(場合によっては背中を向けたまま)、条件反射的に挨拶をするところが不思議だとのことだった。
 他にも、日本の大学生の多くが、勉強よりもおしゃれやアルバイトに過剰に熱心であることに驚いたことなど、次々と色々な意見が語られる。
▼そんな中で、多くの留学生がうなずいた意見のひとつが、「日本人は礼儀正しい」というものであった。筆者には、「へえ〜、そうかな?」と意外に感じられた指摘であった。
 どんなときにそれを感じるのか尋ねてみると、何気ない会釈や会話の場面だそうで、日本人は相手になるべく嫌な思いをさせないように振る舞っているように感じる、とのことであった。作り笑いであろうが、条件反射であろうが、とにかく挨拶をすることが当たり前とされている日本は、礼儀正しさを重んじる社会であり続けてきたことは確かであろう。
▼しかし、昨今、報道されたり、目の当たりにしたりする日本人の言動には、礼儀正しさはおろか、人間としての最低限のモラルさえ疑わしくなるものが増えてきたようだ。高級車に乗り外食を楽しみながら子どもの給食費は支払おうとさえしなかったり、自分の都合ばかりを主張したりするモンスターペアレントの出現は、その代表例だろう。
 ただし、そんなごく一部の突出した事例にばかり注目していては問題を見誤るかもしれない。歩道をふさいでしまう不法駐輪、渋滞を引き起こす違法駐車、電車内やレストランでの携帯電話の使用、タバコや空き缶のポイ捨てなど、意識を高めていないと誰もがやらかしてしまう迷惑行動は、我々の身近に溢れるれるほどにたくさんある。
 「KY(空気が読めないこと)」が良くないこととして社会の話題となる現実を考えると、やはり多くの日本人が周囲の人々の気持ちを推し量ることの大事さを感じているのだといえそうだ。「ひとさま」の目を意識することは窮屈である。そんなものを気にせず、自分らしく自由に振る舞いたいのは人情だ。でも、自分さえ良ければ、それで良いわけではないことは明白だ。互いに迷惑をかけないことこそ、自由であるための基盤だろう。
▼明治の文明開化まで「自由」という言葉を持たなかった日本人が、今、真に他者の気持ちを推し量り、「お互い様」の気持ちを持つことができるか、試されているような気がする。

(山口裕幸)
 
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