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編集後記  第56巻8号 2008年8月
 

▼「おしゃべり」と「話す」を対比させて使う場合、「おしゃべり」は、自分の話したいことを話すという要求が満たされる行為であり、「話す」は、相手に情報を適切に伝えることであるようである。子どもが授業中に「おしゃべり」をするのは困るが、休み時間に「おしゃべり」することは、リラックスするのに有用である。一方、会議では「話す」ことが求められるが、懇親会では「話す」ことも「おしゃべり」することも求められる。
▼さて、診療の場における「会話」の場合は、どうなっているであろうか。診療の場では、患者さんに自分の病について「語って」もらい、医師は病気の診断をし、治療をするための設計をする必要がある。しかし、そのプロセスは簡単ではない。患者さんは、どの情報が医師にとって重要な情報であるか分からないのがその一因であるが、診療における「会話」の目的が、患者さんと医師とで食い違っていることも大きな原因であるようである。
▼患者さんは、自分の病について語り、それを医師によく聞いてもらいたいという欲求をまず満足させたい。一方、医師には診療に関係する情報を効率よく集めたいという思いがある。そのため、「どうされましたか」という質問に対する患者さんの「お話」は、疲労感、痛み、いらいら、不眠といった「愁訴」の連続や、仕事・家族関係の「ストレス」、自分の症状とその原因の因果関係の「仮説」であったりする。これらの「お話」は、医師にとって「おしゃべり」ととらえられることが少なくない。その場合、患者さんの「お話」はさえぎられ、診療に必要な情報を得るために医師の質問に「短く答える」という効率的な「会話」に持ち込まれてしまいがちである。
▼時間が限られている診療現場で、効率的な「会話」に持ち込むことは、やむをえないと考えられがちであるが、患者さんが自分の話を聞いてもらえなかったと思ってしまえば、患者さんの診療に対する満足度は低いものとなってしまう。満足度が低ければ、医師を信頼しなかったり、アドバイスを聞かなかったり、治療を中断したりすることにつながることが報告されている。
▼結局のところ、自分の病について自由に「語る」という欲求が満たされることが良い医師患者関係を保つ前提となるのである。その「語り」によって、医師は患者さんの病気を診断したり、治療をしたりする手がかりを得ることができる。さらに、医師は適切な「質問」をすることによって、必要な情報を得ることができる。そのプロセスによって、患者さんも自分の病気をよく理解できるようになり、医師に関心と敬意を払われて信頼関係を築くというのが、診療における「会話」の機能であると理解すれば、医師と患者の「会話」の目的のギャップは埋められるかもしれない。
 おそらく、「自分の話したいことを話すという要求が満たされる」ことと「相手に情報を適切に伝える」ことは、すべての「会話」において、良き関係を築くために必要な機能なのであろう。

(馬場園 明)
 
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