Browse
立ち読み  
編集後記  第56巻7号 2008年7月
 

▼むかし、小学校に子供銀行というものがあった。子どもに金銭感覚を持たせようという意図で始められたものと思うが、なぜか、その後あまりはやらなくなった。これをよく利用できる子どもとできない子どもの格差をなくすという意味で廃止になったのかもしれない。また、小学校に文房具などを扱う売店ができて、筆者は初めての「経営」をまかされ、新鮮な緊張と興味を持って責任を果たすことがおもしろかった。他の子どもたちも同じように分担し、少しは「商売」の仕組みとおもしろさを経験することができたようである。こちらのほうは、その後も長く続いたと思う。
▼最近では、子どものためのキャリア教育とか、株取引のまねごとのような教育が行われる場合もあるようである。学校教育は、実社会に出る前の準備段階であるから、このような金融や経済の予備的教育がなされても、やり方次第では結構だろうと思うが、それはマネーゲームとしての技術の教育であろうか、それとも金銭感覚や社会感覚や責任感を豊かにする教育であろうか。最近の社会状況を見ると、このような金銭教育は大人にこそ、徹底すべきではないかと思うことがある。それとも大人になってからではもう遅すぎるのであろうか。
▼アメリカで住宅ローン返済の困難な状況を引き起こした、いわゆるサブプライムローンの問題は、首をかしげたくなるようなことが多い。第一、初めは低利子であるが、一定期間の後には利子が高くなるという明白な仕組みを、借り手は自分の収入予定をふまえて理解していたのだろうか。第二に、貸し手の方も、新築された家を担保にするとはいえ、貸し倒れが一般化した場合、その家の担保能力が十分にあると考えたのであろうか? 銀行がつまずけば、これに融資した別の銀行が被害を受け、金融全体に被害が広がる。そしてこれがわが国の金融不安に連なったというのが実情であろう。つまり、身の丈に合った貸し借りをするものだという教訓は、今こそ世界中の大人が噛みしめなければならない。
▼それにしても、金銭感覚というのは個人レベルの意識教育だけでは簡単に形成されるものではないのかもしれない。日本人はよく貯金して、高額な買い物もできるだけ現金でしようとするが、アメリカ人はローンをよく使う。これはほとんど文化の違いと言えるかもしれないが、キャッシュカードの普及によって日本人も借金感覚が麻痺しそうになってきている。パソコンによる買い物が多くなると、いっそう自戒しなければならなくなるであろう。そんな金銭教育を子ども時代に受けたことのない今の大人たちは、金融引き締めと物価上昇の傾向にある今日、自分の金銭感覚をどうやって磨き、どのように子どもたちを教育していけばいいのだろうか。金銭教育、実は大人のためにも。

(丸山孝一)
 
ページトップへ
Copyright © 2004-2007 Keio University Press Inc. All rights reserved.