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立ち読み  
編集後記  第56巻2号 2008年2月
 

▼理不尽な要求をしてくる親に対して、悩み苦しんでいる先生がいる。話を聞かなければ関係は悪くなるし、話を聞いてうっかり要求を受け入れてしまえば、要求がエスカレートしそうだと思っている気持ちは理解できる。
 理不尽な要求をしてくる親は、自分の子どもや自分の権利のために自己主張はするが、他の子どもの存在や先生の立場は無視したり、軽視したりしていることもある。その親は、他人の立場を配慮する想像力が十分でない場合もあるだろうし、主張して思い通りになればもうけものであるといった考え方をしている場合もあろう。しかしながら、それらの親を「モンスターペアレント」と呼ぶだけでは、問題の解決にはならない。
 担任であれば、問題をしっかりと受けとめる以外の方法はない。まず、よく話を聞いて、事情を理解する。話を聞く時は、相槌をうったり、同調したりして、できるだけ話しやすい環境を作る。遮ったり、否定することは避けるほうがいい。親も十分に話を聞いてもらえば、納得することもあるし、自分の要求が理不尽であると気づくこともある。また、よく話を聞いてみるとそれなりの理由がある場合もあり、共感できる時もある。もちろん、そうでない場合もある。次になすべきことは、他の子どもの存在や自分の立場を理解してもらうことである。それができれば、「できないことはできない」というメッセージが伝わることが多い。
▼理不尽なことを主張する人が増えており、その対応に苦慮しているのは、学校に限ったことではない。病院でも、会社でも、町内会でも同様である。最近の経験から判断すれば、「理不尽なことを主張する」のも「その対応に失敗してしまう」のも、コミュニケーション能力が原因になっている場合が少なくない。すなわち、自分の置かれている立場を伝えたり相手への敬意を表現するスキルが不足している。これは、自分や周囲の状況を客観的に描写し、相手に丁寧に伝える訓練が、子どものころからなされていないのが原因のひとつであると思われる。
▼日本人のコミュニケーション能力の不足は、以前は説明しなくてもわかってもらえるという環境があったから生じたといえる。換言すると、今までの日本は外的な規範に頼った管理社会であったが、そのような構造が崩れた結果、それぞれの人が自分の立場で利益を主張しだし、軋轢が生じてきているともいえる。
 そもそも、社会は、個人が利害の異なる他人と生活し、信頼したり、軋轢を生じたり、妥協したりして、学んでいく場である。その場で重要なのは、誰かに管理してもらうのではなく、自分で試行錯誤しながら、考えて行動していく態度である。学校は、「知識を習得するために管理される場」ではなく、「利害の異なる他人となんとかやりくりしながら、学んでいく場」であるというコンセンサスが得られるようになれば、学校でも内的な規範の形成とコミュニケーション能力の獲得がもっと重視されるようになってくると思われる。

(馬場園 明)
 
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