Browse
立ち読み  
編集後記  第55巻5号 2007年5月
 

▼ウツラウツラと私は「お睡」(おねむ)の心地なのだ。未だ人語のほとんどを解することのない幼い私の耳元には、ただ優しげな小声が、サヤサヤとのみ聞こえ、「ネエや」に負ぶわれた体温の快いねんねこから抱き下ろされ、私は、敷き整えられた布団に移されるのだ。途端にヒヤッと肢体の感覚が浸される無情の冷たさ。柔らかに用意された布団とはいえ、それは、私にこの世の、命なきものの冷ややかさを教えた、最初の体験基盤である。しかし、すでに寝入りつつある私の意識は、感覚のとらえたこの違和の冷たさに、精いっぱいあらがいながらも、自らの体温に末を託して、夢のなかに紛れ込んで行くのだった。
▼「ネエや」……。家人からの伝聞によると名はマスミ。ニコニコと小太りの赤ら顔。当時の世相では、農村地帯の疲弊は甚だしく、口減らしのため、町の中流家庭に住み込み働きを希望する娘が多かったとか。彼女もその例に漏れず、四国の辺地の出自で、高等小学卒の直後、我が家に来たという。今思えば、あの時、私の耳元の声は、母とマスミの「この子寝かかっているね、そーっと、そーっと……」等であったのだろう。幼時の私は、この十四・五歳の小さな娘の愛憎の集中する対象なのであった。少し太めのその子守天使は、家事に倦むと、裏庭近くの軽便鉄道の発車を観せに行くとて、私をダシに、にわかに背負って駆け出すのだった。その意に反してダダをこねると、ねんねこの上から人知れずキュッと尻をつねられる。その痛さは幼くしてうかがい知る愛の代償でもあった。私の「三つ子の魂」はこのようにして旅立ったのだ。
▼人の一生に底流して、その体制を支配する因子の存在はどう立証されるのか。J.S.Brunerは、人はその神経系統に理論構造を有するという。それは、やはり、生物種的類同への推測のレベルで止まるのだろうか。その後の私は、前述のような、おのれの五感のみを経験則の基盤としながら[遡及禁止 untraceable]の標識を解読することなく、個別と普遍を切りわける深淵に渡された、暗黙の共通性という幻の掛け橋を、学校教育等という粗大に仕組まれた社会システムに導かれて、うかうかと渡りきったのだ。
そうして渡ったリテラシイの此岸は、電子機器での耕しとネットの肥料での、第二次信号系の幹に代理経験という漿果が満ちあふれる楽土であった。発信・受信の支障なく、処理・検索は速やかで、情報記憶の大量保存……。
なれど恐ろし、その代償に、先手必勝の私利私欲、虚偽歪曲と匿名苛めの渦巻く魔境とは……。その昔、意味論的困難を唱え、その難題を倫理の根本議題とした先哲の覚えが今にして新たである。
▼亡き母の優しさは、その難題からの圧力をいなすパロディーの教えにまで及んでいた。

 

寝台白布

受之父母

不敢起床

孝之始也

 

 

身体髪膚

受之父母

不敢毀傷

孝之始也

 「孝経」より

     
     
     
 

(中村 亨)
 
ページトップへ
Copyright © 2004-2005 Keio University Press Inc. All rights reserved.