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立ち読み  
編集後記  第54巻9号 2006年9月
 
▼今回の特集「親の教育力」、「学習障害児への発達支援」のいずれも、まさしく親の在り方が問い直されるテーマである。筆者自身も、一人の親であるが、思春期の子どもの親業はまことに難しい。
▼世の中には、いろんな親がいる。最近、めざましい活躍でボクシング界の復興を支えている亀田三兄弟の父・史郎氏は、息子たち3人をそろって世界チャンピオンにするという夢を実現するために、育ててきたらしい。ボクシングのトレーニングなど、我々、パソコンの前で物書きをするような輩にとっては想像を絶するほどの過酷な練習を“させている”はずだが、「チャンピオンになって父親にベルトをあげることが夢」と言わしめるほどの父親とは、どんな子育てをしてきたのだろうか? と素朴に思う。大リーグのイチロー選手の父・宣之氏も、息子の将来を見据えて、野球専門書を片手に、つきっきりで特訓を重ねたらしい。
▼こうした、近頃有名なスポーツ選手の父親(なぜか、父親の話が多いのだが?)の話を聞きかじっても、私など、どうしても“まねができるようには思えない”のである。こうした父親の関わりは、どう考えても、普通の子育てでは、子どもたちが、“くたびれる” “文句を言う”“親子げんかになる”ことが、真っ先に頭をよぎるのである。
▼実際、筆者の教育相談の場では、家庭学習でLD(学習障害)の子どもたちに教える母親のほとんどが、“親子げんか”の悩みを語られる。教えるということは、親子の間では、間違いなく“難しい”のである。
▼ネット検索を続けてみると、少しだけ安心する記事もあった。日刊スポーツのインタビューによれば、ゴルフの宮里藍選手の父親は、役場職員から四十三歳にしてティーチングプロに転身した苦労人らしいが、「パー3だけのショートコースで、大雨の中で父がキャディーをしてくれました」、1時間で300球をさっさと打った後にテレビに向かっても「“考えずに打って体で覚えることも大事。それでいいさ”と言ってくれました」、「父からスコアのことで怒られたことはない」と娘に言わせる関わりをしていたようである。
▼これなら、ちょっとだけまねできるような気がしてきた。結局、親は“教育者”である前に、“サポーター”“安全基地”であることが子どもの力を引き出すのではないかと素朴に考え始めてしまうのである。それでは、安全基地とは何か、と考えると、ただのぬるま湯であってもならず……と思ってしまう。適温であっても、風呂にばかり入れていてもしょうがなく、結局、親が教育する場とタイミングとは何かと考えは進んでいってしまう。教育力と子育て力は、洞察に限りのない永遠のテーマである。今回の特集を繰り返し読み直し、改めて、自分の子育て“力”について考え直す次第である。
(遠矢浩一)
 
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