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立ち読み  
編集後記  第54巻8号 2006年8月
 
▼元来は、大人のこころの健康上の問題であったことが、子どもにも認められることがあります。
 例えば、今月号の特集のひとつである「ストレス」がそうで、昔はストレスを持たないのが子どもの代名詞みたいなものでした。子どものうつ病にしても、30年くらい前までは、その存在を認めない(もしくは認めたくない)こころの病の専門家は少なくありませんでした。子どもは大人のようにうつ病を発病するほどのストレスを溜め込む成熟した心理状態にはないと考えられていたのが、その主な理由でした。
 しかしながら、その後の臨床研究において、子どもは大人のうつ病のような症状の訴え方や経過を示さないけれども、確かにうつ病とみなされる気分や意欲の低下、様々な身体の症状を呈することが分かってきました。しかも、子ども時代のうつ病が大人になって発病するうつ病やその他の精神障害と密接に関連することを示唆する報告が増えてくると、子どものうつ病の早期発見と早期介入はこころの病の専門家にとって大きな関心事となっています。
▼同時に、最近、子どものうつ病に対して大人のうつ病に使用するのと同じ抗うつ薬を用いる機会が増えてきています。
 けれども、このことの是非をめぐって専門家の間で大きな議論が起きているのです。現在までのところ、大人のうつ病の治療薬が子どものうつ病にも有効であることを証明した研究が乏しいからです。そればかりか、ある種の抗うつ薬は子どもの興奮しやすさや攻撃的な言動を誘発しやすく、自殺の危険性も高めることが警告されています。子どものストレス対策として薬物療法を用いることが、かえって子どもを様々なリスクにさらす皮肉な結果を招きかねないわけです。そのため、日本を含む各国の規制当局は、十分に注意して子どもには抗うつ薬を処方するよう医師に指導しています。
 そもそも大人のうつ病の原因も抗うつ薬の作用メカニズムもまだよく分かっていないことが多いのです。それを、子どもにうつ病があると分かった途端に直ちに応用しようとするのはいささか乱暴すぎると批判されても仕方がないように思われます。
▼どうやら、子どものこころの問題を単に「大人の小型版」とみなす考え方自体を見直してみるべきなのかもしれません。むしろ、子どものこころは、大人以上に現代社会のストレスやリスクに敏感に反応しやすいようです。
 大人になると、成長するまでの教育や経験がより強く影響するので、その反応の仕方は複雑極まりないものになっています。子どものこころのほうこそ、大人が抱える様々な問題の根っ子を明らかにしてくれるようです。したがって、子どものストレス対策やリスク回避が大人のこころの健康対策に寄与する点も多いのではないでしょうか。
 いずれ、「子どもから大人が学ぶ」という特集テーマを組める日が訪れることを願っています。
(黒木俊秀)
 
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