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第10回 草創期交詢社の人々 小幡篤次郎(2)―交詢社構想とトクヴィル―前回は交詢社構想の最初期から関わり、幹事を長く務めた小幡篤次郎の経歴と第一紀年会における演説をとりあげた。演説の核心は最も固い結合のあり方として政党があげられていたことにあり、文明国では民間の些細なことをはじめとするあらゆることが結社の団結協同によって解決されていることが説明されていた。その際、結社の源として政党が捉えられていた。今回は交詢社構想に際して小幡が示唆を受けたと思われるトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』の内容をみてみたい。 交詢社規則を創立委員たちが練った際、洋書を手がかりにして議論をしたことが鎌田栄吉の回想に述べられているが、同様に交詢社の全体構想に際しても様々な洋書が参考にされたはずである。そのひとつにトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』があったように思われるのである。 ★トクヴィルと『アメリカのデモクラシー』まずはトクヴィルの来歴と『アメリカのデモクラシー』(以下『デモクラシー』と略記)が執筆された背景について若干ふれておきたい。アレクシス・ド・トクヴィル(1805-59)はフランスの名門貴族の家に生まれた人物で、思想家、政治家として活躍した。彼が生まれた1805年はナポレオンの帝政が始まった翌年であり、その後彼は革命と復古という新旧の人々が生み出す緊張に揺れ動く時代に生きた。26歳のときに裁判所の仕事を休職し、アメリカを旅行したことが彼の思想家としての活躍を用意した大きな転機となった。 シャルル10世のブルボン王朝が倒れ、オルレアン家のルイ・フィリップが即位した7月革命の翌年(1831年)の4月から9カ月間、トクヴィルはアメリカ各地(主に北東部のニュー・イングランド)を訪れた。人々の生活のあり方、ものの考え方、社会の成り立ちなどからアメリカのデモクラシーのあり方を観察し、母国フランスのそれと比較しながら、アメリカを超えるもの、すなわちデモクラシー自体の姿、その傾向と性質、偏見と情熱の形態、デモクラシーに何を期待すべきか、また恐れるべきかを見出した。帰国後の研究をあわせて1835年に出版されたのが『デモクラシー』第1巻である。1840年には第2巻が出版された。 数百ページにも及ぶこの書の豊かな内容をここに紹介するのは筆者の手に余る作業だが、彼は「諸条件の平等」を基礎としたデモクラシーの進行が、歴史的に元に戻ることのない方向性であることを説き、「新しい時代、社会には新しい政治学が必要である」と説いた。アメリカの安定したデモクラシーの姿に将来像を見出しつつも、同時にそこから生まれる病弊にも目を配っているのが本書の特徴である。その処方箋はアメリカで見出した「地方自治」「陪審」「結社」という「民主主義の三つの学校」であった。 ★小幡とトクヴィル『デモクラシー』ところで、小幡は当時にあっては最新の洋書を多く読み、翻訳も遺しているが、その中にいくつかの『デモクラシー』に関係する部分訳、論説がある。原書はフランス語だが、彼や福沢が読んだのは英訳版である。明治6年に出版された小幡『上木自由之論』は、『デモクラシー』中の出版の自由に関する章の翻訳であり、日本初のトクヴィル翻訳でもある。また前回ふれたように明治8年、小幡は「嫡子に限り家督相続を為すの弊を論ず」(『民間雑誌』第十一編)という論説を書いているが、これは『デモクラシー』(第1巻)「イギリス系アメリカ人の社会状態」を参考にして執筆されたものである。さらに、明治9年に慶応義塾が出版していた雑誌『家庭叢談』誌上で『デモクラシー』の3つの抄訳を発表している。これらは同書中の「アメリカ連邦における公共精神について」「アメリカ連邦における権利の観念について」「アメリカ連邦における行政的地方分権の政治的諸効果について」(いずれも同書第1巻)の各章を訳出したものである。 これらのトクヴィルに関係した著作は、小幡が『デモクラシー』全体を何年もかけて丹念に読み込んで、その時々の問題関心に即した部分を訳出、または参考にして書いたものであり、翻訳した部分のみ読んだということではなかったはずである。そのことは前回もとりあげた小幡の演説からうかがえる。 ★交詢社第一紀年会演説と『デモクラシー』前回紹介したが、交詢社一周年の会合における小幡演説は、「上世」(大昔)と中世以降の結合のあり方の変遷を述べつつ説明されていた。ここでもう一度彼の演説内容を確認しておこう。 中世以降、文明国において最も固い結合は政党であり、文明が進むほど政党は勢力を増し、「政党外に人なし」というほどの「大団結大勢力」となっている。その結果、人々は万事に当って結社をおこさなければ勢力の乏しさを覚えるようになった。それが習い性となって大は政党から小は民間の些細なことに至るまで皆団結協同するようになっている。我国では種族・宗教・将卒の結合が衰えているのに加え、「結社の本源である政党」がない。結社協同のためには最も障害の多い時代である。このような時代にあって交詢社の結合の隆盛具合をみると、我国の文明が政党を出す日も遠くはないだろう。政党ができて結社の習慣が世におきれば、交詢社もいよいよ盛んになるに違いない。 小幡の主張で注目をひくのは、「結社の本源である政党」という言葉である。今日の我々からするとやや違和感を覚える言い方ではないだろうか。『現代政治学事典』(ブレーン出版社、新訂版)で「結社の自由」の項目をみると、結社とは「多数人が共通の目的のために継続的な結合関係を取り結ぶ行為、またはその結果結成された団体」であり、保障対象となる結社には「政党のような政治的結社をはじめ、経済的・宗教的・学問的・芸術的・社交的結社のすべてが含まれる」と書かれている。 こうしてみると、小幡の言を借りるならば「政党の本源が結社」であって、結社の一部として政党があるというのが今日の我々が抱いている理解であろう。この演説で語られた小幡の結社観は今日の観点からすれば、一風変わったものといえる。すなわち、今日の我々の結社観は交詢社以前の福沢たちが手がけた結社観と同じであり、小幡が交詢社と絡めて語った結社観の方が特殊なものといえる。この点についてトクヴィルの議論の中に得心のゆく説明がある。 ★「市民的結社と政治的結社」『デモクラシー』第2巻-第2部第7章結社論は『デモクラシー』の主要なテーマのひとつであり、他にも政治的結社に限定して述べている部分(同書第1巻-第2部第4章)があるが、第2巻-第2部第7章においては、市民的結社(学校、病院、会社など)と政治的結社の必然的な関係が説かれている(筆者注――この連載では松本礼二訳『アメリカのデモクラシー』第2巻(上)に拠り、章立ての表記もこれに従った)。ここで述べられた2種類の結社の関係こそが、交詢社の構想にあたって小幡の念頭にあった要素のひとつだったように思われるのである。 本章冒頭、アメリカは政治結社をつくる無制限の自由が行使されている唯一の国であるとトクヴィルは指摘する。そして政治的結社が禁止されている国では市民的結社を見ることはありえない述べ、政治的・市民的の2種類の結社が相互補完的な関係にあることを説明する。 市民的結社の運営によって人々は少しずつ結社の営みになじみ、次第に政治のように大きな仕事を共同する能力を身につけてゆく。こうして市民結社は政治的結社の活動を容易にする。他方、政治的結社は以下の点で市民的結社を発展、完成させるという。 1.市民生活においては自分一人で満足であると思い込むことができるが(私生活への沈潜)、政治においてはそうではない。政治は他人と協力する欲求を抱かせ、それを行う技術を教える。政治は結社活動への好みと習慣を一般化する。つまり、政治的結社は無数の個人をいっせいに私生活の外に引き出す。人々が年齢・気質・財産によってどれだけ隔たっていても、政治結社は諸個人を近づけ、接触させる。 2.政治は多くの結社を生み出すのみならず、巨大な結社をつくり出す。市民生活において、多くの人々が同じ利害関心のもとに集まり、共同行動を行うことは稀であり、実現するには大変な工夫を要するが、政治においてはそうした機会に恵まれている。 3.実業・商事会社といった市民的結社の設立参加は、財産上のリスクを伴うが、政治的団体への参加にはそのような心配はない。 トクヴィルは以上のおよそ3点によって、「政治的結社はすべての市民が結社の一般理論を学習しに来る無料の大きな学校」とみなすことができるという。そして政治的結社が市民的結社の進展に直接役立たないとしても、前者を破壊することは後者を害することにもなるともいい、政治的結社の保障を説く。政治的なものを禁ずれば、他の結社との区別をめぐって結社の営み全体が萎縮してしまうからである。 トクヴィルはこのように結社の自由を説くのだが、そこでの論理構成はいまみたように、政治的結社(政党)の存在が保障され、人々がそこで経験を積めば市民的結社の習慣が根付きやすくなるというものであった。 このトクヴィルの議論と交詢社第一紀年会において「政党は結社の本源」と述べた小幡演説の論理は同じものといってよい。また、彼が「交詢社の結合の隆盛具合をみると、我国の文明が政党を出す日も遠くはなく、政党ができて結社の習慣が世におきれば、交詢社もいよいよ盛んになるに違いない」と述べた論理も、上記トクヴィルの主張を参考にしたものといえるだろう。 次回は交詢社構想の中心人物のもう一人、馬場辰猪の思想と交詢社構想の関係についてみてみたい。 【出典と参考文献】
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