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書籍の特集
 
 

偉大な名前  大江健三郎 (作家)


大江健三郎

西脇さんとの不思議なご縁  佐伯彰一(英文学者、文芸評論者)


 私は講義を伺ったおぼえもなく、直接おあいするようになったのはかなり後年の話にすぎないが、不思議と身近さをおぼえて時には文壇のパーティの折などには熱っぽい議論をとりかわす事さえ起こってくれた。お弟子ともいえないのに奇縁という他ない。
 おあいする度にますます親愛感が深まった。現代の若い読者にも稀代の学者詩人の生きた面目にふれてほしい。
 私はふとした偶然のお蔭でこの世にも稀な、すぐれた西脇さんの感性に直接ふれる機会にめぐまれたこの幸運の一端を世の文学愛好家にも、と願わずにいられない。



「日常」と「永遠」の散策者  那珂太郎(詩人)


 西脇順三郎は詩人であり、それ以外の何者でもない。生前の西脇さん自身は、さう言はれることを好まれなかつたけれど。
 彼の随筆エッセイなどは無論のこと、論文や評論詩論なども、すべて詩人のものと見なければ十分にはわからないだらう。それは「理解」すべきでなく、「感応」するほかない。西脇の日本語脈は「論理」を超えて「直観」と「連想」によつて展開する独特の西脇スタイルをつくつてゐる。
 とりわけ詩作品にあつては、固有の言語感覚によつて映像、色彩、音韻からの連想でしばしば飛躍し、非連続の連続を示す。そこに諧謔がうまれる。西脇は古今東西に亘り学殖豊富なことは紛れもないが、所謂「学者」ではなく、すべては「詩」の糧となるばかりである。
 彼は日常の事物事象の中に「永遠」を見る。あるいは「永遠」からの垂直的光線によつてあらゆる日常の事物事象を蒼白化し、哀愁色に染めあげ、荘厳する。その中を西脇は軽やかに散策してやまない無類の詩人だつた。



学匠詩人  西村太良(慶應義塾常任理事)


 学匠詩人という言葉は恐らくヘレニズム時代のカッリマコスあたりについて使われ始めたものと思われる。一方わが国でも長く歌学者が歌人を兼ねるという伝統があった。西脇順三郎と折口信夫は、このいずれの意味とも異なるが、やはり独特の形で近代を代表する学匠詩人だったといえるだろう。特に西脇順三郎の場合、西洋文明の古典受容の最後の果実を、いま思えば極めて日本的なやり方で自家薬籠中の物とした稀有な例ではないだろうか。
 学識に自在に遊びながら、人工的な叙情によって組み立てられた知的迷宮は、いささか意地の悪い諧謔に満ちており、まさにヘレニズムの遊びの世界に通じるものがある。それだけにその全貌は必ずしも一般に理解されていなかったような気もする。その意味でこの度、慶應義塾大学出版会から『西脇順三郎コレクション』が出版されることは、誠に喜ばしいことであり、とりわけ若い世代の読者たちにこの知的スリルをぜひ味わってほしいと願っている。



西脇順三郎とイタリア  メアリ・ドゥ・ラケウィルツ(詩人)


 半世紀前の今日、ワシントンに監禁されていた父エズラ・パウンドから、西脇順三郎の「京都の一月」が私のもとに届いた。それを伊訳して一九五九年に出版するように、とのことだった。
 西脇をぜひ世に紹介したいという父の熱意は、西脇の詩稿のファクシミリと池田満寿夫の版画入りの豪華版をミラノのマルテ・エディチオーニから出すことにも貢献している。
 これは一九七二年に刊行されて好評を博し、父も死ぬまえに一目見ることが出来た。
 十年後に西脇の死の知らせを日本から受け、私は心から冥福を祈った。偉大な詩人たちはいつまでも忘れられることはない。かれらはひとびとを教え、喜ばせ、感動させ続けるだろう。今回、西脇順三郎の作品を集めて立派な選集を企画されたことに、深く敬意を表したい。



西脇順三郎の歩行が遥かに遠くなろうとしている  吉増剛造(詩人)


吉増剛造

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