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巻頭随筆

「もう一つの教育」――イギリスのホーム・エデュケーション    望田研吾

 

 わが国では「不登校の子に多様な教育を支援する」ための超党派議員連盟による法案(「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律案」)が5月の国会に提出されました。この法案が構想された当初は、フリースクールや家庭学習などの学校外の教育も認め、それに基づき義務教育修了を認定することも盛り込まれていましたが、その方針に対しては「不登校を助長し、学校制度が形骸化する」といった反対の声も強くあって、今回の法案では国や地方公共団体が「学校以外の場における学習活動に対する支援」を行うことにとどめられています。この反対意見に示されるように、わが国では「公」の学校制度への「信仰」が強固にあり、それと異なる教育手段への不信感も根強いものがあるようです。

 しかし、世界には学校に通わなくても義務教育修了を認める国があります。そのひとつがイギリスです。イギリスでは親が子どもを家庭で教育することを選択できるホーム・エデュケーションという制度があります。2014年の統計ではイギリスでホーム・エデュケーションを受けている子どもは27,292人で初等・中等学校生徒全体の0.34%ときわめて少数ですが、こうした少数者にも配慮しているところがイギリス的であるかもしれません。

 ホーム・エデュケーションは法的根拠に明確に基づいています。1996年教育法第7条には「義務教育年齢のすべての子どもの親は子どもの年齢、能力、適性に応じた効果的なフルタイムの教育を子どもに受けさせなければならない」という規定があります。しかし、その後に「学校への通学かまたはその他の方法によって」という但し書きがあるのです。この「またはその他の方法」が盛り込まれていることによって、ホーム・エデュケーションは法的に認められているのです。「教育は義務であるが、学校への通学は義務ではない」のです。

 では、ホーム・エデュケーションを選択した親たちの理由はどのようなものでしょうか。ある調査によるとその主な理由は、「学校の規律や安全への不満」(いじめ、子どもが学校を怖がる、学校の規律への不安)、「学校の教育水準やカリキュラムへの不満」(学校はテストのための教育に偏しているなど)、「宗教的、文化的理由」(学校での人種差別へのおそれ、家庭の宗教など)、「教育信念上や政治的理由」(子どもはもっと長く親と過ごすべきという理由で5歳の義務通学開始に反対、教育は子どもの自主性を尊重するインフォーマルなものであるべき、政府の政策は親と子どもが一緒に過ごす時間を制限しているなど)、「子どもの特性への配慮」(失読症、自閉症などへの学校の配慮不足、英才児への配慮不足)、「子どもの健康上の理由」というものです。ただ、「自分が希望した中等学校に入学できなかった」や「子どもの長期欠席のために訴追されるおそれがある」といった理由も挙げられています。

 イギリスでこうした多様な理由によるホーム・エデュケーションが認められていることの背景には、個人(親)の思想の自由を尊重し、それに基づく多様性を大事にする文化があるといえます。ホーム・エデュケーションは、多様性を尊重し少数者への配慮を欠かさない民主主義的考え方の教育における表れの一端といえますが、多様性をなかなか認めないわが国との開きはまだまだあるようです。



 
執筆者紹介
望田研吾(もちだ・けんご)

中村学園大学教育学部教授、中村学園大学大学院教育学研究科長。九州大学名誉教授。教育と医学の会会長。教育学博士。専門は比較教育学。前アジア比較教育学会会長。九州大学大学院人間環境学研究院教授などを経て現職。著書に『現代イギリスの中等教育改革の研究』(九州大学出版会、1996年)、『21世紀の教育改革と教育交流』(編著、東信堂、2010年)など。

 
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