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立ち読み
巻頭随筆

〈なずな寮〉のおとなたち     滝川一廣

 

 手元に『精薄のおとなたちと』(鳩の森書房)という一冊がある。1973年刊。タイトルで知れるように「精神薄弱」が「知的障害」と呼びかわる以前の本である。昨今の発達障害への関心の高まりや一種のブームは広汎性発達障害やその周辺のグループを中心としており、知的障害はその陰に埋もれてしまった観なきにしもあらずで、そんな思いもあって久しぶりに読み返してみた。

 著者、近藤原理さんは長崎県で特殊学級の教員を務めながら自宅を今でいうグループホームに開放し、家族ぐるみで知的な発達に遅れをもつ成人男性たちと暮らしを共にしてこられた。始めたのが1962年。九州には知的障害者のための成人施設がまだなかったころだった。近藤さんはそこを「家庭的小集団共働施設〈なずな寮〉」と名づけた。芭蕉の句「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」からとられている。

 十名を超える寮生(利用者)は、当時「動く重度者」と呼ばれた人たち(今の用語なら「強度行動障害」に近いだろうか)をはじめ、決して障害の軽い人たちではない。なんらかの理由で在宅や施設での生活が困難になった人たちだった。この本には〈なずな寮〉の十年間がさまざまなエピソードを交えて活写されている。

 〈なずな寮〉は法人でも福祉施設でもなく(そうしなかった理由は本文に述べられている)、一個の農家として田畑を作り養豚や養鶏を営み、農産物・畜産物の販売と自給とで暮らしを立てていた。田植えなど寮生だけでは間にあわない作業は地元の人々の手も借りるが、ボランティアではなく、日当をきちんと支払い、作業のあとは食事を供して一緒に働いてもらう。「なずなはおとなたちのくらす家庭」でふつう家庭は「見学者」や「ボランティア」を入れたりはしない、と近藤さんは語る。やり繰りは楽でなかったにちがいない。しかし、それによって護りたい大切な何かがあった。

 書名のとおり〈なずな寮〉の住人はみんな「おとな」である。おとな(生活人)としての矜恃。その矜恃をもって近藤さんも寮生も自分たちで働き、力が及ばないところは報酬を出して自分たちが雇用する。この姿勢を自立と呼んでよいかもしれないが、頻用されるこの言葉には要注意なところが潜んでいる。自立の強調に「お荷物になるな」という暗黙の圧力がどこか隠れてはいまいか。自立が孤立にすりかえられていくことはないか。

 近藤さんは「自立支援」をうたわない。大切なのは「共働」で、〈なずな寮〉は小集団共働施設を名のっている。「共働」とは、いわゆる自立のための労働ではなく、共にあるための労働を意味している。現代日本では労働が経済原理に絡め取られ過ぎて、それが障害をもつ人々ばかりでなく、私たちみなに生きにくさを強いているのではなかろうか。人はなんのために働きあうのか。あらためて考えさせられる。

 おとなの暮らしなのだから、労働に加えて性がおのずと生活のテーマとなる。そのエピソードもいろいろ描きだされている。たとえば、寮の大事なお金を持ち出して町で「エッチのえいが」やキャバレーのストリップショーを「いっしょうけんめいになってよくみて」きたキヨシ。彼にとってそれは遊興というより未知への冒険であり、私ども(遅れをもたない者)への挑戦であったのではないかと、近藤さんは省察している。「性」は「生」に通じ、おとなの発達障害への生活支援において棚上げはできない。

 「精神薄弱」が「知的障害」となり、さらに「知的障がい」といった表記も増えている。〈なずな寮〉の生まれた時代と「呼び名」は変わった。けれども、それに合わせて、この人々への理解や支援のあり方も大きく進んでいるのであろうか。

 
執筆者紹介
滝川一廣(たきかわ・かずひろ)

学習院大学文学部心理学科教授。精神科医。専門は精神医学、児童青年精神医学、精神療法。名古屋市立大学医学部卒業。愛知教育大学教授、大正大学教授などを経て2009年より現職。著書に『新しい思春期像と精神療法』)(金剛出版、2004年)、『「こころ」の本質とは何か』(ちくま新書、2004年)、『「こころ」はどこで育つのか』(洋泉社、2012年)など。

 
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