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編集後記  第54巻11号 2006年11月
 
▼「創造性をいかに育むか」は、今まで、教育の場において半ば「お題目」のように言われ続けてきました。ちなみに、文部科学省のホームページで創造性という言葉で検索すると、約2400件も出てきます。それだけ、創造性がキーワードとして用いられていることになります。中央教育審議会が平成15年3月に出した『新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について』と題する答申には「21世紀の教育が目指すもの」の一つとして「『知』の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成」がもりこまれています。
▼しかし、「創造性を育む」とスローガン的に言われてきたにもかかわらず、欧米などと比べた場合、わが国の教育において、創造性の涵養がそれほど重視されてこなかったことは事実でしょう。もともと、創造的であることには、他とは異なる考え方、自分独自の発想を持つことが必要です。しかし、わが国の社会や学校のベクトルは、そうした独自性を大事にするよりも、和を尊ぶとして他への同調性を重視する方向に向かっていました。しかし、こうした社会や教育のあり方では、グローバリゼーションが進展する21世紀の世界において、国全体としても個人としても行き詰まってしまうおそれがあるということで、創造性が一層、強調されてきたということでしょう。
▼ただ、教育や学校において創造性を育むことが重視されるためには、周りの社会自体も変わらねばならないのはいうまでもありません。たとえ、学校で創造性を重視するような教育を受けても、社会に出れば相変わらず画一性や同調性が第一に考えられるようでは、創造性教育は受け皿のない人工物でしかなくなります。ユニークな考えや発想は、大多数の見解と衝突し、不協和音を引き起こすことがしばしばです。社会がそれを許容せず押さえつけるときには、創造性の芽はすぐに摘まれてしまうことになります。
▼このように考えると、中教審が提言するような「『知』の世紀をリードする創造性に富んだ人間」を「本気」で育成しようとするなら、わが国の学校や教育を取り巻く「教育文化」や、それを支える社会の風潮も「本気」で変わらねばなりません。創造性を育む「培養土」となるものは、いろいろでしょうが、「教育文化」や社会の風潮で見たとき重要となるのは多様性の尊重と異なるものへの寛容であると言えます。大多数とは異なるさまざまな考え方や発想を認め、自分とは異なるものに対して開かれたこころを持つ、そのような中から、自由な考えや発想が生まれてくるのです。
▼「創造性を育む」がスローガンに終わらず、本当の成果を生み出すためには、小手先の教育技術やノウハウではなく、教育や学校全体、社会全体の大きな転換が迫られているといえます。そうした転換が実際、生じているのか、あるいは生じさせることができるのかは、まだ確言できないような気がしています。

(望田研吾)
 
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