教育委員会制度は、教育行政の民主化とともに日本の地方制度の特質に関係づけられてその存在意義が論じられてきました。日本の地方制度は、独任制の首長が強い権限をもつ強首長型(大統領制型に近い)を特徴としています。そうした首長を監視する役割が議会に期待されていますが、さらに、政治的により公正中立で専門的な行政運営を図る必要性の高い行政事務は、首長の直接管理下にある一般行政部局から切り離した組織に担わせる、という考えが取られてきました。そうした考えに基づいて設けられているのが、独立性の強い会議体の行政機関としての行政委員会であり、教育委員会もその一つです。
2014年は、教育委員会の是非が問われ、大きな制度改正が行われました。その直接的なきっかけは、大津のいじめ事件や大阪の体罰事件等に対する教育委員会の不適切な対応でした。いじめや体罰等の情報が教育委員会に報告されず、教育長以下の事務局が事件を内々で処理しようとしたというのが真相でした。そうした事態が、教育長以下の事務局を管理監督すべき教育委員会の機能不全ととらえられ、教育委員会制度の責任体制に根本的な欠陥があると指弾されました。それに対する改革の処方箋が、責任体制の明確化、即ち、教育行政の責任者を会議体の教育委員会ではなく教育長とすること、および、その教育長と教育行政に対する首長の関与の強化でした。
ただ、私は、今回の制度改正を進めた処方箋は果たして妥当であったのだろうかと疑問を抱いています。「教育委員会」と言う場合、住民の代表者や学識経験者等で組織される会議体の教育委員会を指すのか、あるいは、事務局長の教育長の下に専任職員が行政実務を担っている部署である教育庁や事務局を指すのか、混同することがあります。混同を避けるために、前者を狭義の教育委員会、後者を広義の教育委員会と分けて言うこともあります。今回の制度改革論議のきっかけとなったのは、必要な情報を教育委員会に報告しなかった教育長以下の事務局の隠蔽体質ではなかったかと考えます。そうであれば、事務局のそうした隠蔽体質を改め、必要な情報を教育委員会に的確に伝え透明性のある活発な教育委員会での論議を生み出すような制度改革に取り組むべきであったと思います。必要な情報を隠蔽し教育委員会に伝えなかった教育長以下の事務局の改革に手を付けず、逆に、教育長の地位・権限を強めた上でその教育長に対する首長の関与を強化しました。その点で、今回の改革は、ある意味、本末転倒ではなかったかと考えています。
残念ながら、今回の制度改革の論議では、ほとんど関心が払われませんでしたが、教育委員会制度の本来の理念は、教育に関する地域住民のさまざまな考え方を尊重する立場から、住民間の論議を大切にし、そうした論議を通して形成される住民の意向・要求を反映させて教育行政運営を行うという教育の住民統制の考えです。改正地方教育行政法でもその基本理念に変化はありません。狭義の教育委員会をより活性化させていくために、教育委員は地域の教育熟議を喚起しリードするファシリテーター(推進役)の役割を一層果たしていくことが求められているといえますし、首長や教育長(事務局)は、そうした教育委員の活動を人的・物的にサポートする体制を整えることこそが重要であると思います。
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