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巻頭随筆

暴力問題と安心・安全社会の構築      田嶌誠一

 

 いわゆる問題行動の中心にあるのは暴力である、と私は考えている。非行問題の対策を考えるにせよ、予防対策を講じるにせよ、もっとも優先的に取り組むべきは暴力への対応である。換言すれば、暴力への対応または安心・安全の実現こそが、あらゆる問題行動への取り組みの土台に必要である。

 非行少年の成育史をみれば、非常に多くの場合、虐待被害があることはよく知られている。そのため、近年ではトラウマ・愛着(アタッチメント)・発達障がいといった視点の重要性等が言及されるようになってきた。それ自体はいずれも重要な視点ではある。しかし、ここで私が主張したいのは、実はそういうことではなく、もっと重要な視点は、過去だけではなく非行少年はしばしば現在もなお暴力の渦中にあるということである。加害者であることもあれば、被害者であることもある。通常は、暴力の加害・被害の連鎖の中に生きている。非行にはいろいろな形があって、なかには暴力とは直接関係がないものも数多くあるが、しかしそれらを支えているのは暴力の連鎖ないし暴力的文化であると言えよう。そして、それらの暴力の背後にあるのは成長のエネルギーである。

 暴力にさらされない安心・安全の体験は、非行少年に限らず、すべての子どもたちにとっての成長の基盤である。にもかかわらず、非行少年は暴力を使わない関係――暴力をしない・されない関係――をあまりにも経験していないのである。したがって、まずなによりも必要なのは暴力を振るわない・振るわれない関係の「体験の蓄積」、安心・安全な「体験の蓄積」である。

 実は近年、教育領域だけでなく、医療・福祉等のさまざまな領域で暴力が大きな問題となっている。そこでの暴力も今に始まったものでは決してないが、近年ではさらに共通の傾向が出てきている。それは、従来からある暴力に加え、近年では「利用者」から「従事者」への暴力(子どもから職員への暴力、生徒から教師への暴力、患者から医師・看護師への暴力)が増えているということである。このような変化の背景には、大人と子どもの関係性の変化をはじめとして、さまざまな領域での権威との関係の変化があるものと考えられる。

 私たちの社会の急激な変動は、既成の価値観をゆさぶり、価値観の多様化・相対化をもたらした。かつて絶対と思われたものの価値が根底から疑われ、権威関係も大きく変化しつつある。そのため、私たちはほとんど何を共通の価値としていったらよいのかわからなくなってきているように思われる。そうした今だからこそ、“これだけは”というものを見定めることが必要であると思う。

 私たちの誰しもが共通した価値として共有できるもの、それが「安心・安全」である。

 折しも、2011年3月には未曾有の巨大地震と津波という大災害がわが国を襲った。さらには原発問題が追い討ちをかけている。この事態は、被災者の試練であるだけでなく、むろん私たち人類の試練でもある。内的安心(心理的安心感)と外的安全(物理的安全)の双方を含む「安心・安全社会の構築」が、私たちの社会のもっとも重要なテーマとなってきていると言えよう。


 
執筆者紹介
田嶌誠一(たじま・せいいち)

九州大学大学院人間環境学研究院教授。博士(教育心理学)。臨床心理士。専門は臨床心理学。「現場のニーズを汲み取る、引き出す、応える」を目標として、さまざまな臨床活動を展開している。主著に『現実に介入しつつ心に関わる』(金剛出版、2009年)、『不登校』(編著、金剛出版、2010年)、『心の営みとしての病むこと』(岩波書店、2011年)、『児童福祉施設における暴力問題の理解と対応』(金剛出版、2011年)など。

 
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