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巻頭随筆

子どもの権利を踏まえた新しい社会の創造を!     福田雅章

 

 今回の大震災は、「大切な人が側にいて、一緒に生きていけることの幸せ」や「ひとりぼっちではないことの喜び」を私たちに教えてくれました。身近な人との間で「受容的・応答的な人間関係」を紡いで生きることこそ人間の幸せの原点であることを。

 ひるがえって考えてみるに、私たちは、これまで、「人間関係を紡ぐ」という幸せの原点を忘れ、「経済的に豊かなら幸せなはずだ」というフィクションのなかで、競争と評価と効率を最優先する、とてつもなく住みにくい社会を創ってきたのではないでしょうか。子どもたちはいたるところで、身近なおとなとの「受容的・応答的な人間関係」を奪われ、孤独と絶望の中で競争に駆り立てられ、演技をし、ついには“問題行動”に追いやられています。国連の第3回勧告も、「日本の子どもの多くが、親や教師との関係性の貧困のゆえに幸せに生きられないでいる」と喝破しています。

 子どもが、今、真に必要としているのは、「この人となら生きられるんだ」という自己肯定感(自律の基礎)と、「人って信頼していいんだ」という共感能力(道徳の基礎)を生み出す、親や教師などの身近なおとなとの継続的な「受容的・応答的な人間関係」です。これ無しには、子どもは、尊厳を保ち、今を幸せに生き(成長し)、調和のとれた人格へと発達することは、できません。近年の愛着心理学や大脳生理学が教えてくれるところです。

 おとな社会は、「これがあなたのため」と言いながら、実は自らの都合で子どもを管理・支配し、子どもの「尊厳と成長と発達」を殺していると言えましょう。本来丸く育つべきスイカを、商品価値を高めるために「四角」に育て上げているようなものです。だから、子どもには、本来の「尊厳と成長と発達」を自ら回復するための力として、子どもの権利がどうしても必要になるのです。

 それが何であるかは、先に述べたところからも明らかなように、「受容的・応答的な人間関係を紡ぐ」権利です。その実体は、子どもの「ねぇ〜、ねぇ〜、顔をこっちに向けてよ!」という本能的な愛着行動や欲求を出す力を権利として認め、それに対して身近なおとなが「な〜に? そうだったんだ! 大変だったね!」と応答する義務を負うことです。子どもの権利条約の12条は、意見表明権と訳され、子どもの社会に参加する権利だとされてきました。しかしその本質は、条約が前文で子どもの成長発達のために不可欠だとしている「幸福、愛情および理解のある環境」を、子どもが自ら実現できる具体的な権利として規定したものなのです。

 このような「思いや願いを表明する権利」は、新生児、重度障害児、非行少年を含むあらゆる子どもが自ら行使できます。これは、人間とは「理性的・合理的な存在」であることを大前提とし、「自己決定・自己責任」を中核に作られている近代の権利論では説明できない新しい権利なのです。子どもの権利を承認することは、人間が理性的・合理的存在であると同時に「動物的・関係的な存在」であり、その価値が保障されない限り、人間らしく生きる幸せの原点も失われてしまうことを承認することでもあります。震災はそのことを改めて教えてくれました。今こそ、子どもの権利を踏まえた新しい社会を創造しましょう!

 

 
執筆者紹介
福田雅章(ふくだ・まさあき)

一橋大学名誉教授。DCI(子どもの権利のための国連NGO)ジュネーブ本部理事、DCI日本支部代表。専門は刑事法、子どもの権利論。ハーバード大学ロースクール大学院修了(LLM)。一橋大学法学部教授、同大学院法学研究科教授を経て現職。著書に『日本の社会文化構造と人権』(明石書店、2002年)、『「こどもの権利条約」絵事典』(PHP研究所、2005年)など。

 
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