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巻頭随筆

早期教育と子どもの発達    広木克行

 

 乳幼児に対する早期の知的教育(以下、早期教育)が過熱し、低年齢化しています。小中学校へのお受験が話題となり始めた40年程前とは違って、最近は2歳ごろから始まる有名幼稚園へのお受験準備教育が一層過熱しています。子どもの中には誕生後3〜4年で人生の重要な選択を迫られる子や、それ以後大学に入るまでの15年以上を、受験のための勉強に費やす子どもがいるということです。

 一方で、早期教育による生活の質的変化を体験して育った世代の中には、いわゆる「社会的ひきこもり」の増加や「うつ」症状の増加と低年齢化など、自我の形成における困難を示す問題群が現れていることも確かです。もちろんそれらをすべて早期教育に結びつけるのは正しくありませんが、早期教育の過熱に見られる幼少期からの教育過剰現象と切り離して考えるのも正しいとは言えません。

 たとえば早期教育の大先輩であるアメリカで、全米幼児教育協会の会長だったD・エルキンドは、早期教育の流行がもたらしたものを次のように述べています。「その結果は、就学前では頭痛や腹痛、小学生では学力不信や抑うつ状態、ティーンエージャーでは麻薬常用や妊娠、摂食障害、自殺といったストレス症状となって現れる。急かされた子どもたちは内的葛藤と同時に外からのプレッシャーにもさらされていた」と。

 また多くの困難に直面してきたアメリカ社会については、「調査研究の結果をオープンに受け入れ、専門家の意見を尊重してきた社会でありながら、こと子どもの学習と教育に関しては、親も教育者も行政や立法に携わる人たちも、こぞって調査研究の結果を無視し、専門家の意見に耳を傾けようとしない」とも述べています。そして「子どもの学習と教育」の問題の例として、「学童を対象とした教育プログラムが幼児向けに行われ、多くの幼稚園では、かつて小学校1年生向けであったカリキュラムを取り入れ、ドリルまで使用している」ことを挙げています1)

 子どもの発達に関する最近の研究は、幼児期の早すぎる知的刺激が、子どもの生理的・精神的発達にとって、深刻なトラブルを引き起こす可能性が高いことを明らかにしています。たとえば大脳が急激に成長する乳幼児期に記号化された知識を記憶するなど強すぎる刺激が与えられると、幼児前期に「過形成」状態になる前頭葉のシナプスは、その「刈り込み」が妨げられ、脳の発達に影響が出ると考えられているのです。

 またわが子の将来に対する期待と不安から、知的な発達に関心を集中させる親の心理が、受容を求める子どもの心とすれ違いやすくなることも重要な問題です。それは愛着関係の形成にとって否定的な影響をもたらし、時を経るとともに愛情遮断による心因性の障害や疾患として表出することが少なくありません2)

 有能ではあっても無力な乳幼児たちは、親の心理と表情に極めて敏感です。大好きな母親の笑顔を求めて生きているからです。とくに親の言うことをきく「よい子」ほど、親の期待を自分自身の要求のように感じて活動する傾向があるので、自我の形成が妨げられるケースも出てくるのです。

 早期教育の危険性への警告に、私たちはもっと真剣に耳を傾けるべきだと思います。

                       [文献]1)D. Elkind. Miseducation: Preschooler at Risk, 1987.
                           2)三木裕子『愛情遮断症候群』角川書店、2001年    

 
執筆者紹介
広木克行(ひろき・かつゆき)

大阪千代田短期大学学長、神戸大学名誉教授。専門は臨床教育学、不登校研究。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。神戸大学大学院教授などを経て現職。著書に『子どもが教えてくれたこと』(北水、1994年)、『保育に愛と科学を』(北水、2000年)、『教育相談』(編著、学文社、2008年)など。

 
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