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巻頭随筆

自己形成と動機づけ    速水敏彦

 

  近頃の子どもたちを評して「自信がない」とか「自己評価が低い」と言う小・中学校の先生たちは少なくない。自信がなければ、踏み出す勇気が湧かないので、あらゆることに挑戦しようという気持ちが抑えられる。だから、子どもたちの自己肯定感を高めよう、自己効力感をつけようということが、先生たちの合言葉になる。

 しかし、現在の教育環境を見回すと、なぜ今の子どもたちに自己肯定感が育っていないのか不思議な気がする。なぜなら、彼らは以前の子どもたちより明らかに自己否定感を感じさせない環境に置かれてきた。体罰を受けることや、強く叱られることは少なくなった、敗者の立場を慮って競争は抑えられてきた、また、現在の学習指導要録は子どもたちの劣った面でなく優れた面に焦点化した評価方法をとってきた。

 「自己決定理論」という動機づけの考え方がある。これは簡単にいえば、外発的動機づけをいくつかに区分し、従来の「外発的動機づけ」対「内発的動機づけ」という二律背反的な見方でなく、動機づけを「他律(自己決定なし)」から「自律(自己決定の程度大)」までの連続帯状にとらえようとするものである。まず、他者から強制され行動する、まったく他律的な場合は「外的動機づけ」と呼ばれる。次は一応自分から動き出す場合で、もし失敗したら恥ずかしいからとか、準備しておかないと不安だからという理由で行動する際に働く「取り入れ的動機づけ」である。さらには、やることの重要性を認めてもう少し自律的、積極的に自ら行動するときの「同一化的動機づけ」と呼ばれるものがある。しかし、取り入れ的動機づけも同一化的動機づけも、やること自体が楽しいからという自己決定の程度が最も高い、いわゆる内発的動機づけとは質を異にする。

 ところで、自己形成という観点からすれば、わずかの自律性、自己決定性が含まれる取り入れ的動機づけの段階から、人はその動機づけを機能させることで、実は自ら自己形成を行おうとしている。高校入試に不合格だと恥ずかしいから勉強しようとすることであっても、高校生になるという将来を自己選択しているからこそ生じるのである。人は自分で選択した様々な目標に向かって動機づけられ努力し、格闘し、傷ついたり、あるいはなんとか目標にたどり着く過程で自己が形成されていくといえる。自分は医者になりたいから生物学を勉強する、というような同一化的動機づけであれば、なおさら自己形成と動機づけは表裏の関係であることがより明確である。

 今のものわかりのよい親たちは、子どもたちにやや無責任に「好きなことをやりなさい」と言ったり、先生たちは楽しく学ばせることに奔走するが、一時的な内発的な動機づけから出発してほんとうの意味での自信をつけていける人や領域は、実は数少ないのではないか。成長の過程では誰もが、学習でも運動でも生活技能でも、現在の水準より高い水準に向かわざるをえない場合が多い。当然、不安や困惑の負の感情が襲い、行動を躊躇させる。それでも自ら行動を選択し、暗闇の中でも震えながら走り抜けることが要請される。しかし、そのような外発的動機づけからの出発を繰り返すことで徐々に自信がつき、自律性の高い動機づけが生成され、自己形成もなされていくのである。最も大切なことは、彼らの自律性の弱い外発的動機づけを受容し、その背中を押してやることだ。子どもたちが自己否定の場面に遭遇することを恐れてはいけないのではないか。

 

 
執筆者紹介
速水敏彦(はやみず・としひこ)

名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授。教育学博士。専攻は教育心理学。名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了。大阪教育大学助教授を経て現職。著書に『自己形成の心理』(金子書房、1998年)、『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書、2006年)など。

 
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