Browse
立ち読み  
編集後記  第55巻4号 2007年4月
 
▼もともと小児の病はすべて「心身症」といってよい。小児ほど「心身相関」が明らかな年代は他にないからである。しかしこれは、よく言われるように、「子どもは大人に比べて心身が未分化である」からではない。そもそも人は、子どもであっても、大人であっても、「心身相関」のままに生きている。それが生身の人が生きている自然の姿である。試しに自分自身が健康と考える心身の状態を想像してみるとよい。「心身」ともに調子よいのであって、健康な「心身」を「心」と「身」に切り離せるものではない。
▼では、大人と子どもの違いはなにかというと、大人は子どもよりも言葉の文化が発達しているので、言葉によって「心」の状態を語ることができるということである。特に「心身」が不調なときは、一時的に「心」と「身」を切り離し、言葉が「心」を語ることで、周囲に援助を求めることができる。子どもは、そのような言葉の働きが乏しいので、不調に際して、「心身」が丸ごと反応するしかない。これが子どもの「心身相関」の本質であろう。
▼そもそも大人の「心身症」は、言葉の文化の発達が度を過ぎて、「心身相関」をうっかり無視してしまうところに由来すると考えられている。アレキシシミアという「心身症」の概念があるが、これは「心身」の不調にもかかわらず、「身」を語る言葉ばかりが過剰になって、「心」を語る言葉のほうが疎かになる病態である。したがって、「心」を語る言葉を増やすことが回復につながると、心身医学は考えてきた。
▼では、今日、問題になっている小児の「心身症」は、どう考えたらよいのだろうか。おそらく子どもならあるべきはずの「心身相関」がなかなか備わっていないことに、問題の深刻さがあるのではないかと、編集子は考える。「朝、起きられない」「食事が不規則」「遊びに行きたがらない」「一日中、疲れている」「深夜まで起きている」等々、およそ子どもらしくない症状が増えている。「心身」のハーモニーが乱れているとしか考えられない。しかも、こうした症状は徐々に低年齢層化しているらしい。ある児童精神科医によれば、「登校拒否できる子はまだ健康なほう、登校拒否すらできないで、学校の保健室に来て頭痛や腰痛を訴える生徒がいる」という。言葉の文化が発達するより以前に、「心身相関」が崩れ、「心身」全体で反応することもできなくなっているのか、と不審に思う。
▼子どもが「心身」ともに健やかに育ってゆける環境を提供してあげなくてはと思う。親は、その環境の最も大事な構成要素である。健やかな親子の相関があって、初めて健全な「心身相関」が育まれるように思える。
▼今回の特集「子どもの心身症とストレス」において、田中英高氏が、子どもの病気には「何物にも代えがたいその家族だけの『希望』がそこに隠れている」と結んでいるのを読んで、しかりと首肯した次第である。

(黒木俊秀)
 
ページトップへ
Copyright © 2004-2005 Keio University Press Inc. All rights reserved.