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編集後記  第55巻3号 2007年3月
 
▼教育基本法が改正されました。安倍内閣は「教育の再生」を国内政治の最重要課題に掲げ、教育改革を推進していく方針です。そのため、内閣に教育再生会議を置いて、安倍首相の考えが直接反映されるようなしくみも作りました。教育再生会議設置の趣旨は「21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図っていくため、教育の基本にさかのぼった改革を推進する必要がある」ためというものです。しかし、「21世紀の日本にふさわしい教育体制」や、改革の基盤となるべき「教育の基本」とは何なのかは明確には述べられていません。ただ安倍内閣が推進しようとする教育改革のモデルは、イギリスで1980年代から行われたサッチャー改革だといわれています。周知のようにサッチャーによる教育改革は、競争を軸とする市場原理を教育の中に持ち込み、親に学校を自由に選択させることによって、学校間の競争を促し、それによって教育の質を向上させていこう、というものでした。
▼ところが、日本のモデルとなったそのイギリスでは、今、教育における過度の競争の問題点が指摘され、労働党ブレア政権は学校間の競争ではなく学校間の「協働」を推進しています。競争原理では、学校は他の学校に負けまいと必死になりますが、それはお互いに「孤立した」競争です。しかし、イギリスではこうした競争一辺倒のやり方では、必ずしも国「全体」の学校や教育の質向上には結びつかないという考え方が広まっています。競争では必ず勝者と敗者が生まれます。イギリスでの反省は、敗者に対してケアを十分にしない限り、国や制度全体の向上にはつながらないのではないかというものです。そこから「強い学校」が「弱い学校」をサポートすることによって、「強い学校」が自分だけ良くなるのではなく、地域の「弱い学校」も一緒に良くなるという協働の理念が生まれてきました。
▼私は、ここ数年、毎年イギリスを訪問し、こうした変化を目の当たりにしてきました。教育技能省の担当官は、イギリスの「教育文化」を競争から協働へと変えることの重要性を力説していましたし、現場の校長たちも協働の重視を歓迎していました。実際に、校長たちと会って強く感じたのは、自分の学校を良くするために、進んで他から学んでいこう、良いものは取り入れていこうという、非常に謙虚な態度でした。「強い学校」の校長でも「弱い学校」から学ぶべきことがたくさんあると強調していました。こうした態度こそ協働による教育改善を支えているのだということを実感しました。
▼いうまでもなく競争も協働も教育の目的ではなく、教育を良くするための手段でしかありません。競争が万能薬のように考えられたサッチャー時代を経て、今、イギリスでは改めて協働の意義が見直されようとしています。真の教育の質向上にとって本当に必要なものは何か、真剣に考えることが求められているのではないでしょうか。
(望田研吾)
 
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