『ショスタコーヴィチとスターリン』(ソロモン・ヴォルコフ 著、亀山 郁夫 訳、梅津 紀雄 訳、前田 和泉 訳、古川 哲 訳)訳者の梅津紀雄氏「刊行によせて」「ソロモン・ヴォルコフの書籍一覧」を掲載しました。
『ショスタコーヴィチとスターリン』(ソロモン・ヴォルコフ 著、亀山 郁夫 訳、梅津 紀雄 訳、前田 和泉 訳、古川 哲 訳)訳者の梅津紀雄氏「刊行によせて」「ソロモン・ヴォルコフの書籍一覧」を掲載しました。
刊行によせて(梅津 紀雄)
ショスタコーヴィチ(1906-1975)は、ロシア革命直後から後期ソ連まで創作を続けた、ソ連を代表するロシアの作曲家である。スターリン時代以降のソ連では、作曲家も含めた芸術家たちは、社会主義リアリズムという曖昧な創作方法に従うことを余儀なくされていた。大衆を啓蒙し、社会主義建設に寄与することを主たる目的とし、そのために前衛的な様式の作品、芸術家は弾圧されていたのである。スターリン体制下では、抑圧のシンボルは独裁者スターリン自身だった。ロシアの文化史という、広い文脈においてショスタコーヴィチとスターリンとの関係を考察したのが本書『ショスタコーヴィチとスターリン』である。
著書のソロモン・ヴォルコフ(1944-)は、ロシア生まれアメリカ在住の批評家である。レニングラード音楽院でヴァイオリンを(1962-67)、同音楽院で音楽学を(1967-71)学んでいる。『若きレニングラードの作曲家たち』(1971)を出版した際に序文をショスタコーヴィチに依頼したこと等からショスタコーヴィチとの関係を持つ。その後、『ソヴィエト音楽』誌の編集者を務め、1976年にアメリカに亡命し、1979年に『ショスタコーヴィチの証言』(以下、『証言』と略す)を出版して一躍時の人となった。出版直後より、赤裸々にソ連批判を繰り広げる同書はショスタコーヴィチの回想録でないと近親者が主張し、激しい真贋論争が巻き起こり、やがてショスタコーヴィチから直接聞き取られた内容は一部にすぎないことが明らかにされた。しかし他方で同書がショスタコーヴィチの再評価のきっかけを作ったことも事実である。1970年代末、ショスタコーヴィチはソ連体制を象徴する保守的な作曲家として軽視された存在だったが、彼には体制批判的な側面もあったことを示して再評価の機運を作ったからである。その背景の一つには冷戦があった。ソ連で肯定されるものが西側で否定され、ソ連で否定されるものが西側で肯定されていた。そしてソ連内外の情報ギャップも大きな役割を果たしていた。ロシアでは常識だったことの多くが西側では知られていなかったがゆえに、衝撃は大きかったのである。
ショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチに関心を抱く人々に『証言』によって広く知られる筆者が、15年ぶりに「ショスタコーヴィチ」を主題とする本を出版したことは大きな話題を呼んだ(ちなみに、『証言』の真贋論争に関わるような記述はない)。しかし、ヴォルコフは15年間沈黙していたわけではないし、そもそも彼の仕事においてショスタコーヴィチが占める割合はその一部にすぎない。彼の真価はロシアの芸術家に対する聞き取りにあり、バレエ・マスターのバランシンとの『チャイコフスキーわが愛』(新書館)、およびユダヤ系のヴァイオリニストとの『ロシアから西欧へ ミルスタイン回想録』(春秋社)はいずれも邦訳され、高い評価を得ている。ロシアで特に好評を博しているのは、ノーベル文学賞受賞詩人の『ヨシフ・ブロツキーとの対話』(1998)で、邦訳はないが、ロシアでは幾度も版を重ねている(ちなみに、これらの書籍では真贋論争は起こっていないのだから、『証言』の事例は例外である。逆に、『証言』においてはショスタコーヴィチの関係者に対する聞き取りが大きな役割を果たしていた)。その後、ヴォルコフはこうした業績の知見も活かして、さらに広く文化史の領域に乗り出し、『サンクト・ペテルブルグ文化史』(1995)や『20世紀ロシア文化史 トルストイからソルジェニーツィンまで』(2008)、および『ロマノフ王朝の富 皇帝のもとでのロシアの作家と芸術家』(2011)などを出版している。
総じてヴォルコフの仕事に通底しているのは、権力者と芸術家との関係を問う意識と、ジャンルを超えて広く芸術家を視野に入れ、作家、詩人や作曲家、演出家らの生き様を対照させながら、時代の状況やロシアの知識人のメンタリティを分析していく独自の手法である。そして、真実が公の場で語り得ない社会状況が長く続いたロシア社会の特殊性から、記憶や回想を重視する立場である。こうしたスタンスは『証言』にも鮮明に現れており、同書のインパクトは、単にショスタコーヴィチの反体制的な意識のあり様を示したことだけにあるのではなく、作曲家の生きた状況を、さまざまな回想や証言を利用しつつ、同時代の詩人や作家、演出や映画監督たちの状況と重ね合わせて理解する視座を提示したことにあった。まさにそれが西側においてショスタコーヴィチやソ連社会に対する新たな関心と理解を湧き起こしたのである。
すでに述べたように、本書は『証言』以降初めてのヴォルコフによるショスタコーヴィチに関するモノグラフである。英語とロシア語でほぼ同時に出版されたほか、ドイツ語、イタリア語、フランス語、オランダ語、ポルトガル語に直ちに翻訳され、さらにハンガリー語版も続き、広く国際的な注目を集めた。本書における彼の手法は、『ショスタコーヴィチの証言』の、邦訳に含まれない序説で示された、ショスタコーヴィチをロシア史上の独特の人格、聖なる愚者(聖愚者、ユローディヴィ)に見立てて、権力者との対峙の仕方を分析する、というものである。聖愚者は、ぼろをまとい、気狂いのような様相を呈しながら、洞察力に富んだ予言的な言葉を吐き、権力者からも一目置かれていた苦行僧であり、トルストイやドストエフスキー、レスコフらの作品にも現れている。音楽では、プーシキン原作のムソルグスキーのオペラ《ボリス・ゴドゥノフ》の登場人物として知られている。
スターリン
晩年のショスタコーヴィチには安易な妥協もみられるが、青年期の彼の生き様には強靱な精神力が伺える。スターリンと何度も対峙しながらも、臆することなく自説を述べ、周囲を驚かせることもあった。そうした作曲家の姿を聖愚者になぞらえるヴォルコフの視点には大変興味深いものがある。また、スターリンは単なる粗野な独裁者ではなく、教養と芸術に対するそれなりの見識をもって詩人パステルナークや作家ブルガーコフ、そしてショスタコーヴィチらと直接渡り合ったその様は、19世紀の皇帝ニコライ一世と詩人プーシキンとの関係になぞらえて考えることができるのはたしかであり、こうした手法によるヴォルコフの著作は、ロシア文化史についての独特の理解をもたらしてくれる。そして、真偽不明な噂にも大胆に依拠して、歴史的事実よりも知識人の精神世界における「真実」を探求しようとする姿勢も『証言』に通じるところがある。
さらに言えば、権力者と芸術家たちの関係をジャンル横断的に比較しながら分析する手法は、文学的な想像力を駆使して真相に迫ろうとする姿勢とともに、訳者のひとり、亀山郁夫の代表作『磔のロシア』(第29回大佛次郎賞)や『大審問官スターリン』にも通底するものである。
こうしたヴォルコフのアプローチをどう評価すべきだろうか。聞き書きによる功績の一方で、(筆者自身が別のところで記したように)事実よりもアナロジーを重視する手法から、ショスタコーヴィチ研究においてヴォルコフは異端の存在と言わねばならない。しかしながら、日本ではショスタコーヴィチ研究の最新状況の紹介が遅れており、ヴォルコフが用いている文献の多くが知られていないことに対しては謙虚であるべきである(いずれ、ウィルソンやフローロヴァ = ウォーカーらの労作の紹介が続くことを願う)。他方で、彼自身が断っているように、現在のソ連音楽研究では最高権力者の役割はあまり重視されておらず、文化官僚や音楽家自身の振る舞いに照準を合わせた視点が増大している。計画経済や農業集団化を実行し、ナチスとの戦いに奮闘して勝利し、戦後はアメリカと並ぶ超大国へとソ連を導いたスターリンに、芸術に割く時間がどの程度あったのか……疑問があって当然である。本書の軸となっている2つの批判事件、1936年と1948年の前後においてはスターリン個人の関与は濃厚に疑われるが、それ以外の要因も考慮すべき余地がある。天才的芸術家には支持者も多かったが、妬む人々も少なくなかった。誰かが批判されることで得する人もいる。果たして芸術家は抑圧されていただけだったのか……疑う眼差しも必要だろう。そして権力者の望みが「忖度」されることもあっただろう。ソ連の事例を珍事と片付けずに他山の石とするためにも、実態の解明は慎重に行なわれなければならない。そのためにも、本書が活発な議論のきっかけとなることを願ってやまない。
主著11冊、邦訳3冊、2以外はロシア語版も公刊
天才芸術家と独裁者の奇妙な「共犯」関係を暴きだす
ソヴィエト社会主義時代、独裁者スターリンにたいし抵抗とも服従ともいいがたい両義的な態度をとったショスタコーヴィチ。彼が生み出した作品もまた、時にプロパガンダ風であり、時に反体制的であるような二重性を帯びていた。
著者ヴォルコフは、ショスタコーヴィチ再評価の機運をつくった前著『ショスタコーヴィチの証言』刊行四半世紀を経て、歴史的裏付けをとりつつ、独自の手法により作曲家の実像にさらに迫ろうと試みている。本書では、内面的なジレンマを抱えながらも、スターリンと直接わたりあうショスタコーヴィチを、ロシア史上の独特の人格、聖愚者(ユロージヴィ)に見立て、権力者との対峙の仕方を詳細に分析しているのである。
スターリンは冷酷な顔をもつと同時に、芸術を愛する独裁者でもあった。しかし単に芸術家を庇護したわけではなく、彼らを国家的プロパガンダに利用し、弾圧した。パステルナーク、マンデリシターム、ブルガーコフ、エイゼンシュテイン、ゴーリキー、プロコーフィエフ……同時代の芸術家との関わりのなかで、ショスタコーヴィチは全体主義と芸術の相克をどのように乗り越えようとしたのか、スリリングに描き出していく。
判型 | 四六判/上製/560頁 |
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初版年月日 | 2018/04/14 |
ISBN | 978-4-7664-2499-7 (4-7664-2499-9) |
本体 | 5,800円 |