『ユリアヌスの信仰世界』著者 中西 恭子氏による『ユリアヌスの信仰世界 万華鏡のなかの哲人皇帝』によせて

『ユリアヌスの信仰世界』(中西 恭子 著)

『ユリアヌスの信仰世界 万華鏡のなかの哲人皇帝』によせて

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特別寄稿 『ユリアヌスの信仰世界 万華鏡のなかの哲人皇帝』によせて
中西 恭子 著

『ユリアヌスの信仰世界』著者 中西 恭子氏による『ユリアヌスの信仰世界 万華鏡のなかの哲人皇帝』によせて

 本書は、紀元後4世紀のローマ皇帝ユリアヌスの知的遍歴と信仰世界を論じたモノグラフである。「知の歴史」と宗教史を架橋しつつユリアヌスの思索を扱った日本人研究者初の試みでもある。

 日本ではユリアヌスの事績とひととなりは主に史伝的創作を通して知られてきた。ヘンリック・イプセン『皇帝とガリラヤ人』、ドミートリイ・セルゲーエヴィチ・メレジコーフスキイ『神々の死』、そして辻邦生『背教者ユリアヌス』の功績は大きい。日本の宗教的伝統と「西洋の伝統宗教」としてのキリスト教のはざまに生きる読者が、卓抜なストーリーテラーが語る「戴冠せるロマン主義者」ユリアヌスの姿にときに時空を超えて共鳴するものを見いだすこともあったであろう。ラファエル・フォン・ケーベルが熱烈な推薦文を付した島村苳三訳の『背教者じゅりあの』(メレジコーフスキイ『神々の死』)に感銘を受けた折口信夫が「古代人の心にゆきふれるものを書きたい」と志して後年『死者の書』を著したことなども想起されよう。

 物語を愛する若き文人皇帝が古典の擁護者となって、玲瓏たるギリシアの神々の臨在と清らかな民衆の信仰の具現化を夢みる。「戴冠せるロマン主義者」としてのユリアヌス像は悲劇的な美しさを湛えている。しかし、ユリアヌスの古典憧憬がマルクス・アウレリウスの時代のローマ帝国やポリス時代のアテナイへのきらびやかな回顧に彩られたものだったとしたら、死の直後から同時代人の当惑と毀誉褒貶にさらされ、後世に至るまで「背教者」「キリスト教の敵」とみなされるような事態は果たして起きえたであろうか。そして20世紀初頭以降、ユリアヌスの宗教観の実像はアカデミックな検証の対象とされてきたが、現在もその像は万華鏡を通して見るかのように変幻自在である。ユリアヌスは自らの思索を作品として遺した数少ないローマ皇帝である。ならば、本人の目に映った同時代の諸宗教の現実と、彼が夢想した信仰の理想とはいったいどのようなものであっただろうか。そして教会側の史料によって知りうるかぎりのユリアヌスに寄せるキリスト教徒の蹉跌とはどのようなものであったのか。本書の探求はそのような問いに発している。

 ユリアヌスは自らの来歴と父祖たちの営為を捨て身の笑いにくるんで語るユーモアの持ち主でもあった。『ひげぎらい』における皇帝らしからぬ粗野で質素な哲人としての自画像や、『クロノス祭、あるいは皇帝たち』におけるコンスタンティヌス一門の戯画が好例である。しかし、彼がひとたび帝室成員にふさわしい神々とその信仰の実践を語るとき、そこには透明すぎていきものの棲まない水のような信仰観が広がる。

 紀元後4世紀中葉のキリスト教は激しい教義論争の渦中にあって、ときに政治と結託して生き残りをはかる発展途上の救済宗教でもあった。ユリアヌスは少年時代からアレイオス派の教理教育を受け、教会の典礼で聖書朗読を担当した経験ももつ人物であったから、与えられた信仰としてのキリスト教の信仰の実態とさまざまな矛盾に、そして帝室成員の参与の方法にいっそう深い懐疑を覚えたのだろう。単独統治期のユリアヌスはキリスト教批判の書『ガリラヤ人駁論』に、アレイオス論争下の神論・キリスト論への不満を縷々綴った。彼は、旧約の「熱情の神」を人間を卑しくする「嫉む神」とみなし、同時代のロゴス=キリスト論のうちに、謀反人として死んだ人間イエスと「神の子=ロゴス」として想定されるキリスト像を説得的に架橋する回路の不備を見いだして、深い懐疑を抱いていた。彼はキリスト教もユダヤ教も哲学諸学派の活動もひとしく、宇宙の哲理を知る生の模索の営み、すなわち「フィロソフィア」として理解していた。だからこそ彼はキリスト教の教理にかわるみずからの思索を支える思想として、プラトンの精緻で壮大な宇宙観に支えられた哲人統治論とマルクス・アウレリウスが奉じたストア主義のほかに、プロティノスの孫弟子であった新プラトン主義者イアンブリコスの著作『エジプト人の秘儀について』にみられる供犠肯定論を選んだ。そしてユリアヌスは帝国全域に遍在する光の神-地母神-治癒神の三柱の神を新たな三位一体として提示してゆく。ここに接合される彼一流の「ギリシア贔屓」は、偽史的想像力にも通じる明るい狂気を湛えている。

 先哲たちの夢みたユートピア、いっさい後ろ暗いところのない、善意と威厳に満ちた光の神々を奉じる志操清らかな学者と僧侶のくに。その具現化を信じてやまない貴顕の出の文人が政治の実務に関わるとき、ユートピア建設の野望は本人さえも予想しない真っ暗な口をあけて彼をのみ込んでゆく。知性への懐疑を喚起する物語、世界の暗いかなしい側面を語る物語を排除し、祝祭に集うささやかな楽しみや喜びすらも徹底的に排除しようと欲すれば欲するほど、人間のもっとも人間らしい痛みや悲しみを容れることのできない思想が生み出される。

 宗教的帰属を超えた共有財産としての修辞学と哲学を理想国家の宗教の聖典に転用しようとする彼の試みは、力あるものによって表現と探求の手段を奪われる苦しみを語り継ごうとするほどの衝撃をキリスト教徒に与えた。5世紀の教会史叙述にみられるユリアヌス治下の混乱の描写にはその苦悩がさまざまににじむ。最初期のキリスト教側からのユリアヌス批判の定型を提供したナジアンゾスのグレゴリオス『ユリアヌス駁論』は、権力によって理不尽に声が奪われる事態を招いてはならない、とみずからの志操を信じて言論の自由にかける宗教者の勇気に貫かれた著作でもある。『ユリアヌス駁論』執筆当時、カッパドキアの辺境都市の新任司祭であったグレゴリオスは、君主との信仰の相違ゆえに宮廷医師の職を辞した弟の未来を思いつつ、皇帝自身には決して届くことのない声を、弟を辞職に追い込んだ皇帝自身の信仰観への透徹した省察を紡いだ。

 ユリアヌスの思索は後世の宗教論の正典たるべき「偉大な」思想とはならなかったが、同時代の諸宗教の来歴と未来を見つめる格闘の痕跡をなまなましく映し出す。古代末期は変容と混沌の時代、彼の事績はロマンティックなほろびの物語に回収されうるものではない。ユリアヌス・ロマンの系譜の形成と史料から判断されうるかぎりの史実の相違をみつめるために、本書では、宗教学の方法論を用いて歴史学と思想研究を架橋しつつ、ユリアヌスの思索の格闘を叙述しようと試みた。ポール・リクールや、ミシェル・ド・セルトーの歴史叙述の思想を遠く仰いだ。古代末期における宗教概念と「異教」概念そのものの問い直し。ある宗教的伝統が説得力を失いつつある時代に生まれた「宗教史」の哲学の系譜。在来の宗教の超克をめぐる議論にも教義論争にもみられる「わたしたち」と「わたしたちでないもの」に対する意見の応酬。この問題を「生きられた経験」の蓄積として観察し、叙述することは、私にとっては当時のひとびとの宗教の理想をめぐる真摯さと勇敢さに対する「喪の仕事」ともなった。

 耳塚有里さんによる装幀はルーヴル美術館蔵のユリアヌス像を配して大理石の輝きを凝縮したかのようなたたずまいである。ぜひお手にとってご覧いただければとねがってやまない。


  

 

『ユリアヌスの信仰世界』(中西 恭子 著)

『ユリアヌスの信仰世界』著者 中西 恭子氏による『ユリアヌスの信仰世界 万華鏡のなかの哲人皇帝』によせて ユリアヌスはなぜ キリスト教に背いたのか?

やんごとなき生まれの文人が政治に出遭う時、本人さえも予想もしなかったディストピアが開かれてゆく――。「背教者」として知られる古代ローマの哲人皇帝ユリアヌスの信仰世界を、精緻な史料分析によって明らかにする意欲作。

 

 紀元後4世紀のローマ皇帝ユリアヌス(331/2-363年、在位361-363年)は、単独統治権を獲得するに至ってコンスタンティヌス以来の親キリスト教政策を放棄し、突然に「父祖たちの遺風」の復興を命じて同時代人を当惑と混乱に陥れた。ユリアヌスの没後、彼の出現は在位中の天変地異や365年7月21日に東地中海を襲った地震と津波に加えて、ユリアヌスの母方の縁戚である簒奪帝プロコピオスの蜂起と鎮圧・刑死と結びつけて語られるようになり、5世紀中葉には「背教者」像が確立される。彼の著作はビザンティン世界における政治と教会批判の具として用いられ、文藝復興期には「古典の擁護者」としての側面も注目されるようになるが、その著作と事績の本格的な再評価は20世紀を待たねばならなかった。

「背教者」として知られるローマ皇帝ユリアヌスの信仰世界の実像を、精緻な史料分析によって明らかにする意欲作。

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書籍詳細

分野 歴史
初版年月日 2016/10/31
本体価格 7,500円(+税)
判型等 A5判/上製/372頁
ISBN 978-4-7664-2382-2
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著者 中西 恭子(なかにし きょうこ)

東京大学大学院人文社会系研究科研究員。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て明治学院大学・津田塾大学ほか非常勤講師。東京大学文学部西洋史学科、東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻西洋史学専門分野修士課程を経て東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。古代末期地中海宗教史・宗教文化史、古代地中海世界の宗教像の受容史。主な論文に「ユリアヌスの「ギリシア人の宗教」とナジアンゾスのグレゴリオス『ユリアヌス駁論』における「ことば」と「真の愛智」、「幻影の人の叢林をゆく 西脇順三郎から見た折口信夫」。翻訳にキース・ホプキンズ『神々にあふれる世界』(共訳、岩波書店、2003年)、シナイのネイロス「修徳修行の書」(『フィロカリア』第2分冊(新世社、2013年)所収)など。