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立ち読み  
巻頭随筆  第55巻1号 2007年1月
「いや」と言う子どもを愛せるか          高橋惠子
 
 乳幼児の育児相談の定番の質問のひとつは、「いや」といって子どもが反抗し手に負えない、生活のあらゆる場面で反抗されて子どもの要求にどう対応したらいいかわからない、などというものである。おとな、特に、親は、子どもが「いや」ということになかなか馴染めないようである。「いや」と言える子どもを育てるには、まず「いや」という子どもを好きになることではないであろうか。子どもの「いや」を認め、それとつきあうために、以下の4点を提案したい。
 第1には、子どもが「いや」という心の仕組みを理解することであろう。子どもの「いや」は、言うまでもなく子どもの意志の表明であり、その基盤にあるのは子どもの自己、つまり、自己意識である。ゼロ歳児でも自己覚知の片鱗を見せるが、2歳になる頃には明らかに自己意識が発達している。2回目の誕生日の頃には、自分に固有の名前があることがわかってくる。「いや」という子どもは同時に「○○ちゃんが……」と自分の名前を連発しているものである。自分の持ち物や行動が名前によって識別される。また、鏡に映った自分の顔や姿を認識できるし、自分はここにいると自分を指差せる。さらにまた、自分で行動の目標を決めて成功を喜んだりする自尊心も観察される。この成長している自己意識が自分の意図や好みを明確に意識させ、それに合わないと「いや」と言わせているのはたしかである。このような仕組みの理解が、「いや」につき合うおとなにはまず必要である。
 第2には、このような自己を育てるにはおとなの手助けがいるということである。子どもの自己意識の発達の基礎になるのは、おとなに愛されているという子どもの安心感である。大事にされることで、子どもは自分の存在に自信を持つことができるし、自己意識の材料となる経験を重ねる勇気をもらう。「あなたは大切な子?」と5歳児に面接調査をしたところ、そうだという回答がたくさん得られた。理由は「ままが、いつもそういうから」「ぱぱが、わたしのことを、たからものだというから」、きっとそうだと子どもは胸を張ったのである。
 第3に、おとな、特に親に必要なことは、自分が子どもに対して非常に強い力を持っているという認識であろう。親子間には愛情があるだけに、親は子どもを愛情でコントロールしやすい。親に面倒を見てもらえなければ生存できないのが子どもである。愛されないことは子どもには耐えがたい。したがって、親の考え方次第では、子どもの自己主張を“わがままだ”と押さえつけることも可能だし、反抗してはいけないと“しつける”こともできる。子どもの「いや」にはよく考えて対処しなければ、子どもの人権を蹂躙することになる。
 しかし、最後に付け加えておきたいのは、子どもの自己主張に耳を傾けることは、子どもの言うことをすべて通すことを意味するものではない、ということである。社会生活をしているわれわれはそれぞれに自己主張をし合って、互いの主張を調整し、それぞれができるだけ快適に暮らすのが望ましい。誰かの自己主張だけが無条件に通るというのは、たとえそれが乳幼児であっても、おかしい。そこで必要になるのは、誰もがしっかり「いや」を主張することである。親としては子どもの主張のどれを認め、どれは認めないか、そして、それはなぜかをしっかり説明できることが必要である。つまり、子どもの「いや」を育てるには、おとなが「いや」をしっかり言えることが必要なのである。つまり、おとなの人間観や世界観が問われているといえるであろう。
 
執筆者紹介
高橋惠子(たかはし・けいこ)

聖心女子大学文学部教授。教育学博士。専門は、生涯発達心理学。東京大学大学院教育学研究科修了。国立音楽大学音楽学部助教授、創価大学教育学部教授などを経て、現職。著書に、『生涯発達の心理学』(共著、岩波新書、1990年)、『自立への旅だち』(岩波書店、1995年)など。

 
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