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編集後記  第63巻6号 2015年6月
 

▼長年にわたり「教育と医学」に貢献された小児科医の満留昭久先生が、2015年2月6日にご逝去されました(享年75)。
 満留先生は、1988年から「教育と医学の会」に入られ、2009年1月から2011年12月まで会長も務められ、お忙しい業務の中でも会の中心となって活躍しておられました。病院の中の小児医療だけではなく、子どもを取り巻く社会や教育の現場にも深い関心を持たれて、小児科医という立場から、教育や心理といった専門の異なる先生方と意見を交わされ、社会へのメッセージを発信されていました。

▼満留先生は1965年に九州大学医学部をご卒業後、九州大学医学部小児科に入局され、75年から福岡大学医学部小児科に講師として移られました。82年にアメリカのアイオワ大学神経科神経生理部門(木村淳教授)に留学された後、96年から福岡大学医学部小児科主任教授に就任され、福岡大学病院副病院長、医学部教務委員、医学部長を歴任されました。ご専門は臨床小児神経学で、脳波や筋電図などの電気生理学に精通され、多くの業績を残されました。

▼てんかんや障害をもつ子どもたちやその家族に、薬だけではなく優しさや希望を処方されていたような気がします。忙しい学内の仕事を夜遅くまでこなされながら、児童相談所の嘱託医、教育委員会の適正就学相談委員、特別支援学校の入試の健康診断など、多くの社会活動も引き受けておられました。

▼2006年3月に福岡大学医学部小児科名誉教授になられた後は、国際医療福祉大学大学院教授、福岡医療福祉学院院長などをお務めになりながら、虐待や様々な理由で親と暮らせない社会的養護を必要とする子どもたちのためのNPO法人「SOS子どもの村福岡」の創立と、子どもたちと育親が一緒に生活する「子どもの村」の開設に多大なるご尽力を果たされました。子どもの村への活動は満留先生のライフワークとなり、呼吸が苦しいのに最後の入院の3日前まで講演をされていました。
 福岡の地からスタートしたSOS子どもの村福岡は、全国的なNPO「SOS子どもの村 Japan」へと発展し、震災後の東北にも拡がり、「子どもの村東北」が設立され、同じ小児神経学をご専門にされていた盟友の飯沼一宇先生に引き継がれました。

▼満留先生の小児科医としての姿勢は、私たち小児科医にとってのお手本でした。その誠実なお人柄は、学内のみならず様々なところで信頼され、尊敬されておられました。
 満留先生の不肖の弟子である福岡大学小児科の教え子の私たちは、満留先生に出会えたことを誇りにして、そのこころを受け継いでいきたいと思っています。それぞれの置かれた場所で、子どもたちとその家族の幸せのために努力していきたいと思っています。
 満留先生、本当にありがとうございました。

 

(安元佐和)
 
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