No.1233(2019年5月号)
特集
No.1233(2019年5月号)
特集
三田評論
2019年5月号表紙
筆者は幼稚舎以来70余年義塾に籍を置いているが、偏狭な慶應ナショナリズムだけは忌避してきた。島田裕己著『慶應三田会』巻頭に、「こういう組織は世界でも類例がなく、わずかに創価学会が似ているぐらい」という意味の文章があり、宗教団体と三田会を並べる指摘が気になっていたからである。元号の変わり目に『帝室論』をめぐる特集が組まれた。こうした記事に対する筆者のスタンスは、この号を東大や早稲田の人間、ましてやフランス人やアメリカ人が読んだらどう思うかと問いかける自己相対化である。特集座談会はかなりの神経を使って編集され、塾員は司会だけ。残りの3名は慶應義塾と無関係の人物という徹底ぶりだ。あえて申せば、せめて外国人から発言か論文が欲しかった。その点、小泉信三による全集未収録書簡六通の中の「外国目線」は素晴らしいし、「フランス語で読む『学問のすゝめ』」(岩谷十郎)は朗報である。編集部の苦労を多としたい。
鷲見洋一
5月1日、新天皇が即位され、令和の時代が始まりました。福澤諭吉は明治15年、『帝室論』を著します。「帝室は政治社外のものなり」で始まる本書は、日本国憲法下での象徴天皇制の形成にも少なからぬ影響を与えています。戦後、小泉信三が『ジョージ五世伝』とともに明仁皇太子(現上皇)の御教育に用いた『帝室論』を読み解くことで、慶應義塾の先人の皇室に対する役割について考えていきます。
風薫る5月です。花々も咲き乱れ、庭いじりや、庭園を散歩したりするのに最適な季節となりました。日本では江戸時代から庶民も庭や鉢植えの植物を愛でるようになったとのことですが、イングリッシュ・ガーデンの本場、イギリスの庭に対する考え方はだいぶ違うようです。東西文化の相違がある意味、如実に現れてくる「庭(ガーデン)」をめぐる興味深い閑談です。
母校を思う塾員と篤志家の皆様により、義塾の教育研究活動を財政支援する目的で設立された1世紀余の歴史を有する組織です。
会員の皆様にはご加入期間『三田評論』を贈呈いたします。