教育と医学

子どもの育ちを
教育・心理・医学から探る

特集にあたって2022年3・4月

「いじめ」問題克服への飽くなき挑戦のために

山口裕幸

 「いじめ」という表現が社会一般に広く使われるようになって久しい。そして、その痛ましい事態から犠牲者を救うとともに、同じ惨状が繰り返されることがないようにさまざまな対策が講じられてきた。しかしながら、甚だ残念なことに、「いじめ」によって苦しめられ、社会生活への参画さえままならない状況に追い込まれている人は後を絶たない。むしろ、「いじめ」がエスカレートして大切な命を奪ってしまう事件や、「いじめ」を苦にして自らの命を絶つ悲劇がニュースになることも少なくない。情報技術(IT)の発展によって「いじめ」の形態もSNSやインターネットを介するものへと急速に変容しており、対応が後追いになってしまうことも起きている。

 困難な局面が続いているが、もちろん、あきらめるわけにはいかない。「いじめ」問題を克服する取り組みを継続していくにはどうすればいいのだろうか。「いじめ」問題を克服するためには、「なぜ他者をいじめるのか」、その攻撃心理のメカニズムを理解する理論的なアプローチに加えて、「どうすればいじめようとする動機づけにブレーキをかけることができるのか」を工夫し解明する実践的なアプローチの、両方が効果的に組み合わさることが大切なカギを握っている。

 

 学校や職場等の現場で実践的に対応する人たちにとっては、眼前で進行するいじめ問題をとにかくできるだけ早く解決することに関心も注意も集中しがちである。極論すれば、どんな手を使ってでも、現下の惨状をストップすることが先決となってしまう。しかしながら、そうした取り組みは、必死なあまり、ついつい思いつきの対応に終始しがちで、対症療法の域にとどまりがちである。他方、理論的なアプローチで「いじめ」問題の克服を目指す人たち、すなわち研究者たちは、個別の多様な状況による影響を詳細に検討することよりも、広く一般的に適用可能な心理メカニズムを明らかにすることのほう関心が偏りがちである。

 二つのアプローチが効果的に組み合わさるには、さまざまな立場でいじめ問題の克服に取り組んでおられる方々の考えや具体的な行動について、ひとつの土俵で論じていただく場づくりが大切な一歩となるだろう。「いじめ」とは一体いかなる行動を指すのか、その定義についても捉え方に違いがあるかもしれない。また、学校で子どもたちの間で発生する「いじめ」にいち早く気づくには、どのような兆候に敏感になるといいのだろうか。「いじめ」は日本だけの問題なのだろうか。海外ではどのように対処しているのだろうか。「いじめ」を受けた人のケアをするとき気をつけておくべきことは何だろうか。いじめた側の人に、真摯に反省し将来にわたって「いじめ」を繰り返さない抑制心を持ってもらうには、どのような取り組みが有効なのだろうか。教育的なアプローチの他にも、法的に効果的なアプローチはないのだろうか。さまざまな疑問や論点が湧き出してくる。

 今号の特集は、さまざまなアプローチでいじめ問題克服に取り組んでおられる専門家の方々に、それぞれの立場で論じていただくことで、理論と実践が相互作用し、「いじめ」問題克服への飽くなき挑戦の大切さを改めて認識し、その取り組みを多少なりとも力づける場となることを願って企図している。多様性が推進力となることを期待したい。

執筆者紹介:山口裕幸(やまぐち・ひろゆき)

九州大学大学院人間環境学研究院教授。博士(教育心理学)。専門は社会心理学、集団力学、組織行動学。九州大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。著書に『チームワークの心理学』(サイエンス社、二〇〇八年)、『組織と職場の社会心理学』(ちとせプレス、二〇二〇年)ほか。

編集後記2022年3・4月

 本特集「『いじめ』克服への処方箋」の中心的テーマである「いじめ」は古くて新しい問題です。多くの読者は、「いじめ」は、昔から子どもたちの中で生じる問題であり、それが発生すれば学校が解決に向けて取り組んでいるだろう、と考えているのではないでしょうか。

 しかし、本特集の各論考を一読頂ければ、学校だけの取り組みではなく、さまざまな立場や専門家が「いじめ」克服に向けて創意工夫しながら努力していることに気づかされることでしょう。その特徴を1つ挙げるとすれば、いじめを克服するためには、それが発生してから解決する事後的な対応ではなく、日頃からの予防的な取り組みが重要であることです。弁護士による予防教育を始め、未然に防ぐアプローチは、学校や家庭での教育のあり方について深く考えさせられます。

 さて、子どもを取り巻く環境は昔と比べて大きく変化し、「いじめ」の実態を捉えづらくしています。かつての「いじめ」は、学校内やクラスなどリアル(現実)な世界で生じたものでした。ところが、昨今の「いじめ」はネットの掲示板をはじめ、SNSなどバーチャル(仮想的)な世界にまで及んでいます。昨年、全国の小中学生に1人1台配備されているタブレット端末を通じて悪口が書かれ、いじめが全国で相次いで報告された事例は記憶に新しいことと思います。バーチャルな世界での「いじめ」に直面することで、かえってリアルな人間関係に過剰な不安や不信を抱かないか懸念されます。教師や大人の目が届かないところで生じる「いじめ」をどう克服するかも、今後知恵を絞る必要があるようです。

 なお、「いじめ」は、決して子どもだけの問題ではありません。筆者の専門分野では「職場いじめ」が根深い問題として研究されています。「いじめ」が年代問わずに生じる問題であるとすれば、本特集の「いじめ」克服に向けた論考が、世代を超えて円滑な人間関係の実現に役立つのではないかと期待しています。

(池田 浩)

<< 前の号へ

次の号へ >>