教育と医学

子どもの育ちを
教育・心理・医学から探る

特集にあたって2020年9・10月

読み書きのメカニズムと難しさ

徳永 豊

 特別支援教育の視点で、子どもの特性に応じた授業の工夫が充実してきた。この特性に応じた工夫のひとつに、「読み書き」に難しさを示す子どもへの対応がある。「読み書き」とは、学校においては教科書を読むこと、また文章を書くことであり、授業における基本的な活動である。読むことを通して、文字から情報を得ることができ、その情報を作者と共有することにつながる。書くことを通して、自分が考えていることを整理したり、その考えを他者に表現したりする。そうすることで、その考えを他者と共有することにつながる。国語科だけでなく、算数(数学)や理科、社会などの教科においても「読み書き」を避けては授業や学びが成立しない。この読み書きについて、子どもは小学校入学前後に、さまざまな活動や国語科の授業で、その基本を身につける。そして数行の文章を読んだり、書いたりすることができるようになる。

 しかしながら、この読んだり書いたりすることに苦労している子どもたちがいる。どのようにすれば他の子どもと同じように読んだり書いたりできるのかについて苦しみ続けている。その子なりに、人一倍の努力を重ねても、なかなか改善しない。なぜ、どうして、自分には難しいのか、この答えが見つからず思い悩む。

 このように、日常生活において、当たり前のことが難しいこと、できないことをどう考えればいいだろうか。

 「目の前に『りんご』があり、そこに手を伸ばしてつかむ」、この当たり前の動作が難しい、どうすればこの動作がうまくできるようになるのだろうか。これが学生時代の関心のテーマだった。手や腕があって、それを動かすための筋の働きもちゃんとしている、でも、「りんごをつかむこと」が難しい、その背後にどのような心理学的なメカニズムがあり、どこでつまずいているのか、その子の体験している難しさを推測しつつ支援を考えてきた。そこで分かったことは、「りんごをつかむこと」は当たり前のことではなく、さまざまな過程・段階と細やかな心理学的メカニズムがあって、人はそれらを瞬時に実現していて、とてつもなくすごいことである、ということだった。

 今回の特集のテーマである「読み書き」についても、日常的には当たり前のことであるが、その背後には複雑な心理学的なメカニズムがあると考えられる。読んだり書いたりすることに苦労している子どもは、それらのメカニズムのどこかでつまずいていて、本来であれば、自動的に処理されている部分がうまくいかない。この特集では、読んだり書いたりする行動のメカニズムをどのように理解するのか、またその難しさをどのように評価しつつ実態把握をするのかを検討する。また、その難しさを踏まえて、どのような支援が効果的なのかについて考える。具体的には、学校や家庭で取り組まれてきた工夫を含め、当事者や家族の困難さや苦労、対応などその実践を知る機会となればと企画した。読むことや書くことに苦労している子どもや家族へのアドバイスにつながれば、と考える。

執筆者紹介:徳永 豊(とくなが・ゆたか)

福岡大学人文学部教育・臨床心理学科教授。公認心理師、臨床心理士。専門は特別支援教育、発達臨床。九州大学大学院博士課程単位取得退学。国立特別支援教育総合研究所を経て現職。著書に『重度・重複障害児の対人相互交渉における共同注意』(慶應義塾大学出版会、二〇〇九年)、『障害の重い子どもの目標設定ガイド』(編著、同、二〇一四年)、『障害の重い子どもの発達理解ガイド』(編著、同、二〇一九年)など。

編集後記2020年9・10月

 今号の特集は「読み書き支援の最前線」でしたが、COVID-19のパンデミックによって最前線のあり方も目まぐるしく変容しているのではないでしょうか。7月現在、日本では流行の第二波が到来しているといってよい状況かと思います。オンラインでの学びと支援があらゆる実践の現場で試みられてきており、そこには大いなる可能性も秘められていますが、他方で、課題となりうるところも見えてきているようです。

 私の研究上の関心は、主体的に学ぶ力の形成、心理学でいう「自己調整学習」です。自己調整学習者を育てることは容易ではありませんが、読み書きに困難を抱える子どもたちにとっても大きな課題です。人の主体的な学びは、多様な要因が複雑に絡み合って成り立つものであり、単一な説明は困難です。そのうえで言えば学びを見通す力とコントロールする力、そして、学びを振り返る力が、サイクルをなして学びを深めているかどうかが肝要になります。学びを自ら駆動するなかで、「自分はできる」という信念である自己効力感があり、自らの特性に応じた「学び方」を見出しつつ、また、自分なりに見出そうと試み続けていることが大切です。支援にあたっては、子どもたちが自分という存在を一歩引いたところから見つめ、肯定的に受けいれていくことを大事にしたいです。

 霊長類学者の山極壽一氏は、五感のうち、触覚や嗅覚、味覚という、本来、共有しづらい感覚をともに経験することの重要性を説いておられます。そうした身体感覚の共有が、人と人の絆を形づくることになるということです。オンラインの支援では、もっぱら視覚と聴覚に依存することになり、信頼関係の基盤をつくることが難しくなっている恐れがあります。コロナ禍において、新たな可能性にも目を向けながら、人の成長にとって本質的に欠くべからざるところの経験がどのようになっているか、見定めていくことができればと思います。

(伊藤崇達)

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