特集にあたって2026年5・6月
子ど もの生きる世界をより深く理解するために
蓮澤 優
子どもの「依存」という言葉を耳にするとき、私たちはしばしば、ゲームやSNSにのめり込む姿、生活リズムの乱れ、学業不振、あるいは対人関係のトラブルといった、目に見えやすい現象に注目します。たしかに依存は、医学的に見れば衝動制御の困難であり、ときに生活上の支障をももたらす重要な問題です。しかし同時に、それは子どもがいまどのような世界を生き、何に支えを求め、どこに居場所や承認を見出しているのかを映し出す鏡でもあります。子どもの「依存」を理解するとは、統制のために逸脱行動を分析することではなく、子どもたちの生活世界そのものを理解することにほかなりません。
今日、子どもたちはきわめて早い時期からデジタル環境に接し、動画視聴、SNS、オンラインゲーム、さらには生成AIにまで日常的に触れています。そこには便利さや楽しさ、学びの可能性がある一方で、企業の設計する依存を誘発しやすい仕組み、他者との比較や承認への不安、対面での関係からの逃避といった問題も潜んでいます。また、発達障害のある子どもにとってICTは困難を補う有力な手段ともなりますが、それゆえにこそ嗜癖や孤立のリスクも無視できません。さらに、貧困や家庭環境の不安定さ、頼れる場の乏しさといった背景がある場合、依存的な行動は単なる逸脱ではなく、その子なりの適応や自我安定の手段となっている可能性もあります。このように、子どもの依存は、危うさの徴候であると同時に、子どもが生きるためにすがる支えのあらわれでもあるという両義性をもっています。
今回の特集では、まず依存の医学的理解を踏まえつつ、多様化する依存の現状と支援の方向性を整理します。そのうえで、SNS依存、インターネット依存、生成AI依存という現代的なトピックを具体に検討し、子どもを惹きつけるメディア環境の構造と、予防・回復支援の可能性を考えます。さらに、発達障害、貧困、「居場所」の問題へと視野を広げることで、依存を個人的な脆弱性や自己責任に還元せず、生活の文脈のなかで理解する視点を提示します。
本特集の論者たちが共通して重視しているのは、依存をめぐる議論を、単純な禁止や抑制の発想に回収しないことです。子どもの依存的な行動を前にすると、私たちはつい「やめさせるにはどうすればよいか」を考えがちです。しかしそれだけでは、その行動が子どもにとって果たしている役割を見失ってしまいます。何がその子をそこに向かわせているのか、その行動はどのような不安や孤独、あるいは承認への希求を埋め合わせているのか。そうした問いを抜きにしては、表面的に蓋をするだけの対処に終わってしまうでしょう。依存を考えるとは、結局のところ、子どもを取り巻く家庭、学校、地域社会が、どのような支えや関係、別の充足の回路を用意できるかを問い直すことでもあります。
依存は、単純に除去したり断ち切ったりすべきものではありません。その背後には、安心したい、つながりたい、認められたい、現実の苦しさからいったん退きたいという、切実な願いが潜んでいます。だからこそ、子どもの依存についてよく知ることは、子どもたちが生きる世界をより深く理解し、その世界に別の支えや希望の回路をひらいていくための第一歩になるはずです。本特集が、子どもの依存をめぐる不安を煽るのではなく、その向こうにある生活世界を見つめ直す機会となることを願っています。
執筆者紹介:蓮澤 優(はすざわ・すぐる)
九州大学キャンパスライフ・健康支援センター准教授。九州大学大学院医学系学府医学専攻博士課程修了(精神病態医学)。パリ東大学人文社会学部博士課程修了(哲学)。福岡県立精神医療センター太宰府病院等勤務を経て現職。日本精神神経学会専門医・指導医、精神保健指定医。
編集後記2026年5・6月
私たちは現在、さまざまなテクノロジーに媒介されながら、この世界を生きています。人と人、人とモノ、人と情報をつなぐメディア・テクノロジーは、すでに日常の中に深く組み込まれ、その存在をあらためて意識する機会は多くありません。この意味で現代の人間は、単独の主体というよりも、「人間−技術の複合体」として存在しているのです。
ただし、この結びつきには2 つのあり方があるようです。1 つは、テクノロジーを媒介としながらも、なお世界へと開かれるあり方です。もう1 つは、人間とテクノロジーとの関係の回路にとどまり、テクノロジーが提示する世界をそのまま世界の全体として受け取るあり方です。本特集で扱われている「依存」は、後者、すなわち世界との関係が特定の回路に収束してしまう状態として理解できるものです。
このように依存を捉えるとき、これから世界に関わっていく子どもたちとテクノロジーとの関係をどのように考えるべきかは、大いなる難問といえます。
「依存」という現象がこれまで、「問題行動」としてのみ捉えられてきた所以も、共に生きていたはずの世界から子どもが逃れていってしまうことへの恐怖や不安が奥底にはありそうです。
しかし、本特集の諸論考が示しているのは、このような理解を見直す必要性です。子どもたちの依存的に見える行動もまた、彼らがこの世界を生きる1つの仕方として捉えることができるのではないでしょうか。それは、現実を切り抜けるための手段であり、好ましい対象とともにある安らぎであり、さらには楽しさを享受するための契機ともなり得ます。
重要なのは依存を単純に否定することではなく、その中で子どもがどのような世界との関係を結んでいるのかを理解し、受けとめていくことです。依存は、単に閉じた状態なのではなく、世界との関係を再び開き直すための過程としても位置づけることができるはずです。本特集が、アジールに一時的に避難し、回路を再び開く準備を整えて飛ぼうとする人間の強さを感じるものとなっていれば、編集委員としてこれほど嬉しいことはありません。
(藤田雄飛)


