特集にあたって2025年11・12月
多様な家族や子どもたちの幸せを支える
増田健太郎
今から四五年前のことです。スウェーデンのストックホルムの繁華街を歩いているとき、白人の若い夫婦が、二人の白人の子どもと手をつなぎ、アジア系とアフリカ系の子ども一人ずつベビーカーに乗せて楽しそうに歩いていました。街ではそのような家族を何組も見かけました。伝統的家族観を持っていた私はとても不思議に思い、その夫婦に思い切って尋ねてみました。「皆さんご家族ですか?」と。すると「二人は実子で二人は養子縁組ですが、私たちの子どもです」と明るい声で答えが返ってきました。また、街の中にある大型のウィンドウケースの中には、車いすや義足・義手がおしゃれにディスプレイされていました。当時「多様性」という言葉も概念も持っていなかった私にとって、価値観を大きく揺さぶられる出来事でした。
一〇年前、ボストンの自閉症児者の寮を視察しました。とてもおしゃれでプールやテニスコートやジムが併設されたまるで高級リゾートのような施設でした。家族は、一緒に暮らしているときはわが子にどのように接したらよいのか、子どもの将来が不安でいっぱいだったそうです。この寮では専門のスタッフが教育や生活のサポートをして子どもたちが自立できるように教育していました。家族は定期的に子どもに会いに来て、料理やスポーツを一緒に楽しめるようになっているとのことでした。オーストラリアで行った視察調査では、社会的養護施設は少なく養子縁組や里親のもとで暮らす子どもたちが多かったのですが、里親に虐待を受けたり、相性が合わなかったりで、何回も里親が変わる子どもたちがいることを知りました。
私は不妊のご夫婦のカウンセリングも行っています。「わが子が欲しい」という思いは共通していますが、自分たちの血筋にこだわるのか、第三者の精子や卵子提供でよいのかで、その後の治療方針が大きく変わります。子どもを授からなかった場合、特別養子縁組や里親を希望される方も多くいます。不妊治療を始める前に、里親・特別養子縁組の選択肢もあることを知らせておくと、長く苦しい不妊治療を早めに健全にあきらめる方も多いと思います。
また、同性愛者のカップルで「わが子がほしい」という願いをもって、里親や特別養子縁組を希望される方々も増えてきました。一方で、自分の子どもにもかかわらず、虐待に至る事例は増加するばかりです。血縁のつながりだけではなく、子どもを想う愛情がとても大切なのだと思います。
本特集では、家族の多様性に関する現在の日本の現状について知ってもらい、どのような支援が必要なのか を考えて頂きたいと思います。
学校・幼稚園の教職員、保育園・子ども園の保育士・保育教諭たちは、子どもたちの家族の背景を理解するとともに、子どもの生活や行動の様子を丁寧に観察し、その子どもに応じた支援や教育が必要です。しかし、中には家族のことを知られたくないという方も多く、家族を支えることは決して簡単ではありません。その際は児童相談所等の行政機関やカウンセラーやソーシャルワーカー等との協働的・専門的支援が必要です。
多様な家族の形態であっても、最終的には愛情をベースとした家族のつながりが必要なのだと思います。究極の目的は、どんな形であっても子どもたちやその家族が幸せであることです。
家族だけでは、解決しない問題が山積しています。多様な形態を有する家族を支援するための制度や仕組みを作るとともに、一人ひとりの子どもや家族のニーズに応じた経済的・心理的・実際的サポートが求められています。
執筆者紹介:増田健太郎(ますだ・けんたろう)
九州大学名誉教授。博士(教育学)。臨床心理士、公認心理師。専門は臨床心理学、不妊カウンセリング、教育経営学。九州大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。九州共立大学助教授を経て二〇二三年度まで九州大学大学院人間環境学研究院教授。幼稚園・保育園アドバイザー。著書に『チーム学校で子どもとコミュニティを支える』(遠見書房、二〇二四年)など。
編集後記2025年11・12月
子どもが通っていた療育施設の運動会に保護者として参加したことがあります。言葉の遅れのある子、歩くことに難しさを抱える子、激しく動き回る子、集団が苦手で泣きじゃくる子……と様々な子どもがいます。しかし、スタッフの皆さんの懸命なサポートで、子どもたちは運動会の競技をクリアしていきます。
一方で、子どもたちを見守る家族のあり方も様々です。今回の特集のように家族の多様性、言葉を選ばずに表現すれば混沌とした雰囲気がありました。私は、卒業研究で支援ニーズのある子どもの家族について調査をしたいという学生を思い浮かべ、この多様性と複雑性を研究の対象にするのは難しいことだと2階の観覧席でぼんやり考えていました。イヤイヤ……発達支援の専門家と名乗っているくせに、普段の子育ては妻に任せてばかりの私のような父親がもっとも厄介で、私も多様性の一部なのだと反省しました。
運動会も終盤になり、子どもと家族の全員が1 階フロアに集まるようにアナウンスがありました。さらに体育館は騒然とします。最後のプログラムは、パラバルーンでした。フロア一杯に広げた巨大なカラフルな布の端を私たち大人たちが握り、スタッフの合図で上下に動かします。子どもたちは上下に動くバルーンの下で歓喜します。飛び跳ねる子、走り回る子、上下するバルーンをじっと眺める子、バルーンが起こす風に身をよじる子など、それぞれに楽しんでいます。そして、私の右隣はベトナムご出身のお母様、左隣はお祖母様。息をあわせてバルーンを上下に動かします。大人もみんな無邪気な笑顔となります。
社会的包摂(インクルージョン)って言葉は難しいけど、本質的にはこのような空間なのだろうと思いました。複雑な背景や事情を背負っていても、子どもの笑顔と健やかな成長を楽しみにする家族の気持ちは通じ合います。今号の特集を読みながら、数年前の私の経験を振り返りました。
(古賀 聡)


