特集にあたって2025年9・10月
AI時代の子育てに大切なこと
安元佐和
今、子どもたちの育ちを取り巻く環境は、大きく変わりつつあります。その中心にあるのが、ICT (Information and Communication Technology)や生成AI(Generative Artificial Intelligence)等のテクノロジーの進歩です。文部科学省のGIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想は、初等教育から一人一台の端末と高速大容量の通信ネットワークを整備し、個別最適化された教育を実現することを目指しています。学校だけでなくさまざまな場所で子どもたちは多くの情報に簡単にアクセスできる状況にあります。家庭に目を向けると、乳幼児期の子育てを支援するAIを活用した子育て相談や、赤ちゃんの泣き声解析アプリなども開発され、乳児期早期からデジタルデバイスとの付き合いが始まっています。家庭や学校でもすでにAIを使った学習アプリや支援ツールが活用されはじめている一方で、二〇二〇年の文部科学省の学習指導要領改訂では、非認知能力(意欲・意思・情動・社会性)の育成が重要なテーマとなっています。
ChatGPT に「AIに不可能なことは何か」と質問してみると、①AIは感情や愛情を本当に感じることはできない。②言葉はわかっても人間の文化や空気までは読めない。③AIはデータを使って新しいものを作るが、全く新しい発想や感動を生む表現は人間の方が得意である。④AIは間違っても、反省しないし責任は取らない。という返答が返ってきました。そして、AIは「道具」であって使うのは人間であること、人が苦手なことをAIが助け、AIができないことを人間が補うのが良い使い方であり、AIには人の心や命の価値まで理解するのは難しい。という意見でした。
今回の特集では、こうした新しい技術の進歩への大きな期待と、同時に危惧される点についての両面を取り上げました。とりわけ、子どもの非認知能力の基盤となる愛着形成は、子どもと親、あるいは親に代わる養育者との相互作用で培われる「心の安全基地」と言われています。AIは子育てや家事をする大人の負担を軽減するツールにはなりますが、愛着形成そのものを育むことはできません。親にとって子育ては簡単なことではなく心配や不安の連続です。親は子どもが健やかに育って欲しい一心で、眠れない夜も子どもに寄り添い、子どもの笑顔に救われ、その親と子の間で愛着形成は育まれます。身体も心も子どもに向け、目と目を合わせて声をかけ、子どもの声を聴き、触れ合う体験こそが、安心、安全の記憶として子どもの心身に刻まれます。これはAIロボットでは不可能な人間に与えられた能力であり、親や身近な人にしかできない力です。親から離れ自立した後も、この愛着形成は心の中に内在化され、子ども自身で不安や困難を乗り越えていける自己肯定感となります。また、子どもが失敗したときにこそ、大人は先回りせずに、見守り寄り添って必要な手助けができるならば、子どもはまた立ち直り、次の課題にチャレンジしていく力が湧いてくるでしょう。子育て中は親にとっても孤独で困難なことが生じる時間であり、AIロボット家電が家事の負担を減らし、AIチャットに気持ちを吐露することで心が救われることもあるかも知れません。しかし、親子でぴったりと寄り添い絵本を読み合うなどの短い時間の積み重ねは、AIに任せられない子どもの心を育む貴重な時間です。
子どもたちが大人になったとき、AIが戦争や犯罪で人を傷つける道具ではなく、社会の平和や人の幸せのための道具として活用される社会であってほしいものです。今回の特集を通して、AI時代の子どもたちが、AIを活用できる知識や技能を身につけていくことの大切さと共に、コスパもタイパも良くないけれど、人と人との関わりで育まれる愛着形成や非認知能力を育むことの大切さが伝われば幸いです。
執筆者紹介:安元佐和(やすもと・さわ)
福岡大学医学部総合医学研究センター、福岡大学病院小児科教授、医学博士。福岡市児童相談所嘱託医、SOS子どもの村JAPAN理事、絵本専門士。論文に「小児科医であること、母親であること」(『教育と医学』55⑺、二〇〇七年)。
編集後記2025年9・10月
AI は私たちに何をもたらすのでしょうか。目まぐるしい速度で変化していく世界と技術のあり方のなかで、私たちが置かれた地点を確認したい、可能であれば立ち止まってじっくりと考えたい、そのような思いが私たちにはあります。本号の特集では、私たちの生活の中に浸透してきたAI という新しい技術が、教育や医学に関わる社会的状況にどのようなインパクトをもたらすのかについて、各領域の専門家に知見を示して頂きました。
文章の執筆やコミュニケーションのツールとして、様々な状況や情報の解析装置として、検索に基づくお奨めや参照事項の情報源として、AI 技術はすでに広範な範囲で私たちの現実の生活に入り込んでいます。それどころか、ツールとしてのAI 観を持つ限り、私たちは現実そのものを見誤ってしまうとさえ言えるでしょう。コミュニケーションや真理、客観性のあり方を劇的に変え、個人の欲望までも外在化させてしまうこの技術は、私たちが自らの主体性のもとで扱うツールではなく、私たち人間の心性に深く食い込んでいるのです。ユーザーの多くが、AIを他者として対話し、悩みを相談し、アドバイスを受けていることを考えれば、もはやそれはツールを超え、私たちにとって他者あるいはオルタナティブな自己の域にまで到達しているかのようです。
さらに、これからAI のあり方は文字通りナチュラルなものとなるでしょう。それは、環境のなかに遍在し、環境を構成するという意味では、もはや実在として取り出して活用できるものではなくなります。むしろ、インフラとして浸透し、世界そのものから区別できないものとなるでしょう。現実の世界のあり方が変わりつつあるからこそ、世界へと子どもを導くことの意味を私たちは探究し続けなければなりません。5 年先、10年先にはもしかしたらその位置付けそのものが全く異なり、AI を捉えるまなざしも大きく変わっていくことが必至ですが、それでも、私たちはここまで考えてきたという痕跡を残し続けていく必要があるはずです。
(藤田雄飛)