こころとからだを科学する
教育と医学
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巻頭随筆
第54巻5号 2006年5月
二十一世紀の子育てと発達支援  杉山登志郎

  今年は、特別支援教育と発達障害者支援法によって、これまで支援の対象とされていなかった軽度発達障害や、高機能広汎性発達障害に対する支援が開始される、新たな変化のスタートとなる。従来、わが国の教育も福祉も、特別な配慮および支援の必要な対象を著しく狭いものに限定していた。「6.3%ショック」とも言われるように、サポートを必要とする子どもたちは以前から数多く存在していたにもかかわらず、十分な対応がなされていなかった。就労の援助対象も広がり、必要な所へのより細やかな支援が、ようやく動き始めた。
 一方、わが国全体は小さい政府へと突き進んでいる。地方でできることは地方に、民間でできることは民間にと、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権により行われた行政改革の日本版が進行中である。発達障害者自立支援法はその流れの中で成立した法律である。福祉支援を一度すべて見直し、客観的評価に基づいた判定による、当事者負担を念頭においた新たな支援が打ち出されている。国が借金を抱える中で、この流れもまた必然性を備えている。この両者の動きは矛盾をはらむ部分がある。しかしながら、これまでごく限られた対象だけが支援を受けることが可能で、その内容が既得権として予算を得ていた事実を考えれば、この二つの流れは必ずしも相反するものではない。
 しかし、子どもや子育てに関わる領域が、小さな政府とは相容れない部分を持つこともまた事実である。わが国の子どもをめぐる状況を見ると、著しい少子化がある。このままいくと、日本の人口は3300年にゼロになるのではなかったか。しかし子育ては困難さを増しているように見える。だからこそ、子どもを持つことに躊躇(ためら)いが生じるのである。地方の時代と言っても、例えば人口の少ない地域に住むことの一番の不安は、教育と小児科医療であるという。
 これまでのわが国のあり方は、子どもや子育てが国レベルで第一優先にされてきたとは考えにくい。労働力の再生産の部分すら、会社にエネルギーが吸い取られているのが現状である。父親は深夜にならなければ帰宅せず、母親もまた仕事中心の生活を送るようになった。是非はともかく、子育てや家庭の基盤が著しく変化してきているのである。わが国の子どもたちの学力低下にしても、学校の責任よりも、学習をめぐる家庭の変容こそが、大きな要因であろう。国は、子どもより一票を持つ老人を大切にしてきた。あたかも連動するかのように、家族は子育てよりも、大人の自己実現を優先とすることが定着したように見える。NHKの朝の連続テレビドラマですら、夫婦の自己実現のための離婚した家族が主人公という時代である。子ども虐待の著しい増加も、このような子育てをめぐる基底文化の変容を背景としている。この家庭の子育て機能の低下ということを考えると、これも是非はともかく、学校が家庭の代替をするしかない。さらに学校が十分に機能しなくなったとき、残る青少年の教育可能な組織は、少年院など司法ルートか軍隊しかない。わが国の子育ては、学校という前線が破られた後を考えなくてはならない地点まできているように思う。
 発達支援も、これまで家族や学校を頼りに行われてきた。基底文化の変容期を迎え、新たなシステムを試行錯誤しながら創設することが、われわれに求められている。



執筆者紹介
杉山登志郎(すぎやま としろう)
あいち小児保健医療総合センター保健センター長兼心療科部長。医学博士。専門は児童青年精神医学。久留米大学医学部卒業。著書に『発達障害の豊かな世界』(日本評論社、2000年)、『教師のための高機能広汎性発達障害・教育マニュアル』(共著、少年写真新聞社、2005年)、『アスペルガー症候群と高機能自閉症』(学習研究社、2005年)など。
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