こころとからだを科学する
教育と医学
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編集後記
第54巻1号 2006年1月
▼新しく来た先生は、子どもたちに次のようなお話を言って聞かせたそうです。
▼ある所に大男が住んでいて、その屋敷は古く大きく立派なものでしたが、もともと大男も、そのお嫁さんも、そろって体が大きい上に、二人のこどもの育ちが早いこともあり、この頃は窮屈になってきていました。
 寄り合いから帰ってきたお嫁さんは、山一つ隣の男の屋敷では、カミナリで崩れた飾り屋根を直すのに、以前より立派なものにすると聞き付けてきて、うちも負けないように新しい屋根をと、口やかましく大男を責め立てるのでした。
嫁「それにさ、手足を伸ばして寝られるように、部屋をすこし広げてさぁ……」。
 そんなある日の朝早く、大男が大鋸をヤスリで磨いているとき、慌ただしく戸を叩く音がするので、開けてみますと、以前から知り合いの神様が立っていました。大男が驚いてたずねますと、この頃、神様たちは手分けをして『夢来たす』という(ハテ? どこかで聞いたような)宝の小箱を忙しく配り歩いているのだそうです。
神「誰でも楽になるのに、そのための苦労をするんじゃよ。それにしても、お前も朝早くからよく働くのう」。
大男「かあちゃんにせっつかれて、家を作り直すための鋸磨きでさぁ。鉈も鋸もこいつら一本ずつきりになりましてねぇ。大切にせんと……。こんな大道具の新しいやつはどこで手に入るか、わしぁ知らんし……」。
神「そのことよ。この宝の小箱はの。頭にこう当てると、思うていることがの、みな伝わり合うんじゃよ。そのためにわしらはこうして配り歩いておるんじゃ。例えばその大きな鉈も鋸も、どこに作り手がいるか、売っているか、いや、もう要らんようになったというて、くれる人もいるかもな。それをたちまち伝え合う。どうじゃ、世の中せわしくなったからの。そうすりゃ、何も要るものを慌てて探し回ることはないし、かみさんだって、寄り合いに出て行かんでも、うちの中にいてお互い相談ごとができるというものよ。それで浮いた時間、お前らも少しはゆっくり好きなこともできようが。どうじゃ、わしらのこの親切な工夫は」。
 神様は大得意です。けれどその小箱を、あのずるくて悪賢いゴブリンたちにも配ると聞いて、大男は、大変な生き残りゲームに巻き込まれるような予感がします。そのことを神様に言うと「そりゃ、お前たちの知恵で何とかせい!」とだけ言って、そそくさと出て行ってしまいました。また、自分のお嫁さんや子どもも、ほかの家の様子などを聞きかじって、もっといろいろ、我が家の不足を言い立てるのではないかと心配になりました。
▼この話の結末は、あまり面白くないと子どもたちが言うので、先生は話の内容を変えたいのだそうです。どこをどう直せば、幸せな結末の話になるのでしょう。
(中村 亨)
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