こころとからだを科学する
教育と医学
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編集後記
第53巻10号 2005年10月
▼いま教育界には、子どもの「学力低下」や「滅びゆく学びの意欲や姿勢」を嘆く声が充満し、教育現場では、その打開策を求めて、右往左往しながら様々な模索が始まっている。カリキュラムの見直し、少人数学級、複数担任制、教科担任制、習熟度別学級編成などなど。
▼「子どもの学びの意欲や姿勢や学力は、教材を仲立ちにして、教育する者(特に教師)との相互作用による関係性の中で拓かれていく」ことを考えるならば、学び手(子ども)の視点と同時に教え手(教師)の視点の双方向性から、打開策への取り組みを追求していかねばなるまい。
▼私は、いま、「子ども同士が互いに学び合い、新たな創造/発見に感動と喜びを見出す子ども主体の授業創り」を求めて、「子どもに学ぶ」、「実践家に学ぶ」という姿勢で、小学校現場に入り込み、授業観察を行っている。毎回が発見と驚きの連続である。
 が、現場に入りたての経験の浅い私の目に映る/心に感じるものは、「子どもの側の問題を考える前に、教える側である教師の力量減退の改善を如何に図るかが極めて重要ではないか」ということである。
▼なぜなら、授業の展開の中に“子どもの姿が見えない”。すなわち“子どもの心や考えが揺り動かされ、子どもたちが悩み、苦しみ、もがき、挑戦し、新たなものを見出していくような、活き活きとした『子どもの知的営みの姿』が見えない”授業を遂行する教師が、なんと多いことか。子どもが、自分なりに「頭の汗をかく」活動をしないまま、毎時間、毎日、「無感動、無感知、無発見」の状態で、机の前に静かに座して、教師が設定したレールの上をひたすら歩かされている姿を見るときに、居たたまれない“心の痛みとやるせなさ”を感じるのは、私だけであろうか。それほど、現場教師の授業実践の力量減退の実態は極めて深刻である。
▼滅びゆく「子どもの創造的学びの姿勢や意欲」を嘆く背景には、おそらく、教師の力量の減退が密接に関連しているに違いない。だとするならば、子どもの学びの姿勢や意欲の改善を図る/変えるには、教師の力量を育む/改善を図る策を講じることが、まずは先決ではないか。
▼今月号の「教師の教育力を高める」の特集案は、こうした考えに依拠して編集されたものである。この編集を機会に、現場教師には、次のことを、今一度、再認識し直して欲しい、と願うのみである。“子どもの「創造的な学び」の改善/育成を図る最善の策は、一人ひとりの教師が心を開き、「子どもに学ぶ」、「同僚に学ぶ」という前進的な学びの姿勢を持ち続け、今までの授業実践を振り返り/反省し、「子どもに寄り添いながら、子どもと共に学び合う、状況に拓かれた授業作り」に真剣に取り組み、努力していくことである。教師が変われば、子どもが変わり、子どもが変われば、また教師が変わる、といった両者の間にある互恵的関係性を信じ、その関係作りを目指して日々努力する教師の前にこそ、子どもの『病んだ学びの姿勢』の改善を図る光が立ち現れてくる”と。  
(丸野俊一)
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