こころとからだを科学する
教育と医学
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編集後記
第53巻9号 2005年9月
▼今日、わが国の教育改革において大きな課題となっているのが、教育の分権化です。過度に中央集権的であった戦前の教育に代わって、アメリカをモデルとして作られた戦後教育制度はタテマエとしては分権的でしたが、実際には戦前の体質を引きずった集権的制度でした。しかし、戦後教育体制の「制度疲労」に伴って、ラディカルな改革の必要性がかなり前から指摘され、その中で分権化は制度改革における重要な軸となってきました。分権化はまた、1980年代から世界中に広まった、市場原理に基づく新自由主義改革の流れに位置づくものでもあります。そこでは硬直した統制の下での集権的制度から、柔軟で効率的な分権的制度への転換の必要性が叫ばれてきました。
▼新自由主義が標榜するのは「小さな政府」であり、教育においても国はできるだけ負担や責任を減らして、分権化や民営化を図るべきであると主張されます。その場合の前提は、官僚統制を廃し、自由な市場での競争に教育を委ねることによってのみ、効率性が高まり、教育の質や水準も向上するということです。こうした改革が強く要請される背景には、グローバル化した経済競争に打ち勝つための人材養成の必要性という至上命題があります。その中で、例えばイギリスに典型的に見られるように、学校は分権化された制度の下、成績を上げるために厳しい競争を強いられています。新自由主義改革では、そうした競争こそが、制度全体の質向上にとっての鍵なのです。しかしイギリスでは、こうした競争がもたらす効率第一主義や、テストにシフトした教育、学校全体の成績向上にとって障害となる生徒の「排除」などのさまざまな弊害も指摘されています。
▼かつて、アメリカのキャンデルという著名な比較教育学者は、学校現場を厳しく統制する集権的制度と、地方の多様性や学校の自由を尊重する分権的制度を対比させ、分権的制度こそが民主主義に叶ったものであると主張しました。ただ、キャンデルが理想とした分権的制度は、国家は教育内容や方法といった教育の「内的事項」には一切関わらず、教師の専門性に基づく自由な判断に任せる一方、教育の機会均等を保障するための制度的枠組や財政的要素といった教育の「外的事項」には責任を引き受けるものでありました。その底には、このような制度こそが子どもと教師の精神の自由を尊重すると同時に、すべての子どもへの平等な教育を保障するものであるとの信念があったといわれています。
▼このキャンデルの主張に照らして見たとき、わが国も含めた多くの国の今の教育改革において、改めて問われなければならないのは「何のための分権化か」でしょう。いうまでもなく分権化は手段であって目的ではありません。教育で最も大切な子どもや教師をないがしろにする制度は、集権的なものであれ分権的なものであれ、荒廃した教育しかもたらしません。分権化は何を目指しているのか。国の財政問題や制度の効率性ではなく、子どもや教師の視点に立った、より深い議論が求められています。本号の特集が、その求めに少しでも応えることができればと願っています。
(望田研吾)
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