こころとからだを科学する
教育と医学
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編集後記
第53巻8号 2005年8月
▼あるものに注意を向け、それが何であろうかと関心を抱くことが学ぶことの出発点である。注意を向けられる時が10秒から1分、1分から5分、そして10分と伸びるに従って、学びの力は増し、色々のことを習得できるようになる。歩き始めた赤ちゃんを観察していると、そのことがよくわかる。歩きだした当初は、色々のことに目を向け、手当たり次第に触れて楽しむ。そしてすぐにほかのことに注意が移り、いっときもじっとしていられない。外界を思いきり模索しているだけで、学ぼうとしているとはいえない。それはそれで子どもの発達にとって必要な期間である。その時期に赤ちゃんを無理やりあることに集中させようとしたら、必ずよくない結果となるであろう。
▼しかし、子どもが3歳、4歳になるに従って、子どもが落ち着いて養育者に注意を向けるようになる。そして養育者の働きかけを受け入れられるようになって、躾や教育が可能となる。子ども同士での相互交流から学べるようになって学校教育が始まる。その段階ではほとんどの子どもが落ち着いて授業を受けられるほどに成熟してくるからである。しかし、その当然なことがどうしても困難な子どもが増えてきたことが、今日の学校教育の課題ともなってきた。
▼私事で恐縮であるが、実は私も落ち着きのない子どもであった。周りの子どもを絶えずつついたり、話しかけたりするので、いつも最前列に座らせられた。それでも毎時間先生にしかられていた。小学3年生からは戦争がひどくなって、学校も延焼して廃校となったので、我慢して授業を受けなくてもよい年月が長く続いた。それが幸いしたのか、中学生になるとちょっと落ち着きのない子どもにまで回復していた。
▼自分の体験から、私はつい最近まで落ち着きのない子どもは生理的な要因によるもの、脳の注意集中機能がほかの子どもより未熟なためと思っていた。それが思い違いと気付いたのは、5年前にある小学校と中学校の学校カウンセラー兼校医を1年間やらせてもらい、子どもたちの学校での生活状況を観察できたことによってであった。週1日だったが、朝8時から夕方4時まで学校にいて、子どもたちと過ごした。先生にお願いして生徒になって一緒に授業も受けた。学年始めには落ち着かない子どもも少なくなく、授業が成り立たないクラスもあった。それが、子どもの注意をひきつけ、授業に興味を持たせようとする、先生のさまざまな努力、特に教材の選択、熱演的授業ぶりによって子どもたちが日ごとに落ち着いて学習を楽しむようになるのを体験的に知った。どうしても落ち着きのない、クラスから飛び出していく子どももいた。その子どもには校長先生が個人授業をするなど学校をあげて取り組んだ。
▼落ち着きのない子どもへの教育というと、子どもの体質的要因がとりあげられ、薬物療法が考慮されたりする風潮がまだ強い。子どもは本来落ち着きのないもの、しかし働きかけ次第でどんどん変わってきてやる気を出してくるという視点からの再検討が、今さらに必要となったように思う。この特集号がお役に立つことを願ってやまない。
(村田豊久)
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