こころとからだを科学する
教育と医学
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巻頭随筆
第53巻7号 2005年7月
安全な教育とは   清水將之
 赤子は、産声を上げてから2―3週ばかり、clinging, sucking, smilingという行為を数分ごとに繰り返している。しがみつき(clinging)は、猿の赤子と同様、親に抱きつき連れ歩いてもらうため、吸いつき(sucking)は生まれた日より乳首から栄養を確保するため、太古から染色体に書き込まれている生存保証書のようなものであろう。
 では、微笑反応(smiling)って一体何のために遺伝子情報へ組み込まれているのか。
 可愛がってくださいと親に伝えるため、新生児は遺伝子情報に従って微笑みかけ続けているのだ、とある学者は言う。そうでなければ、親の関心を維持できなくて、その子は狼の餌食に遭ったろう、とも言う。いささか文学的な推量だけれど、五万年前の暮らしは、子どもにとって危険がいっぱいであったとは容易に想像できる。
 阪神・淡路大震災以来、トラウマとかPTSDということばが市民社会へどっと流入した。専門家の間では最近、用語の乱用に反省が出始めている。ストレスのない生活などあり得ぬように、トラウマを受けることなき暮らしなんて設定しようもない。
 第二次大戦中、市民への無差別空爆で敵国機に親を虐殺された子は、国家から無視されたけれど、生き抜いた。人類は歴史と共にトラウマ耐性が低下してきているのだろう。
 診断基準が「確立」された後、PTSD研究がたくさん報告された。それらによれば、その有病率は、内戦の惨禍に打ちのめされたボスニアで戦場経験のない米国よりもはるかに低いという。どういうことだろう。
 宅間某によって学校の安全管理という主題が一挙に日本の教育業界を席捲した。その直前までは、市民や地域社会へ開かれた学校にしようという標語が唱導されていたけれど、それは素っ飛んだ。校門の施錠、監視員の配置、ビデオ・カメラの設置、職員室に刺股を飾るなど、対策に慌しい。開かれた学校と要塞風の校舎。子どもの育ちに何れが好ましいのか。万に一つの事故を防ぐためなら後者を採るしかない。伸びやかな暮らしの中で一人ひとりの個性を育むとすれば、前者のありようが求められよう。だけど、一体両者は二者択一のものなのか。
 人間の暮らしには、いくらかの危険は必ず付きまとう。肝炎を恐れてレストランで生牡蠣の提供を自粛する国がある。生牡蠣で下痢したと店に文句を言ったら、「あなたの体調が悪かったのだろう」とにべもなくあしらった国もある。日仏、何れが良いとも言えぬ。
 危険をどう読み込むかにも、文化基盤が大きく影響しているようだ。
 伝統的な日本文化(時流の文化、なんてないけれど)に従えば、義務教育の場で不可抗的に生じてくる危険と、われわれはどう付き合ってゆくのがいいのか。衝撃的な事故の連続で、教育現場は虚を突かれた感もある。大地震や津波と、誘拐殺人事件とは峻別して考えねばならない。給食のサルモネラ中毒、集団登校の列へ車が突入などという出来事は、完全な人為事故で防止しえたと考えやすいけれど、果たしてそうであろうか。
 100パーセントの安全を求めるのであれば、刑務所内で育児するしかない、と言ったのはウィニコットであったか。
執筆者紹介
清水將之(しみず まさゆき)
関西国際大学人間学部教授。日本子どもの未来研究所所長。児童精神科医師。医学博士。大阪大学大学院医学研究科博士課程修了。名古屋市立大学医学部助教授、三重県立こども心療センターあすなろ学園長などを経て現職。著書『青い鳥症候群』(弘文堂、1983年)、『子ども臨床-21世紀に向けて』(日本評論社、2001年)、『赤ちゃんのこころ』(星和書店、2001年)他多数。
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