こころとからだを科学する
教育と医学
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巻頭随筆
第53巻4号 2005年4月
日本の医療政策のゆくえ   水野 肇
 日本の医療のゆくえを、今、的確に指摘することのできる人は誰もいないだろう。それは、医療の予測は、年金とちがって将来にでてくる問題に予測不可能なことがあまりにも多いからである。例えば、医療技術の進歩のようなものも、とても予測がつかない。
 一例をあげると、今日本には糖尿病患者は予備軍を入れると人口の一割以上の一六五〇万人もいる。糖尿病に使われている医療費は約二兆円(うち八〇〇〇億円は糖尿病が原因の人工透析患者の費用)とみられている。しかし、実際には、この二兆円だけでなく、最近の知見では、心臓血管系の病気の大半は糖尿病に起因しているという報告もあり、統計の取り方によっては、この二倍も三倍も医療費を使っているという見方もある。
 しかし、膵臓移植が簡単に行えるようになったり、遺伝子組み替えに成功すれば、この何兆という糖尿病の医療費は一度に節約になる。だが、これは現状ではほとんど夢物語に近い。日本の医療費は老人の増加や医療技術の進歩などによって、年々一兆円も増えている。
 医療費の予測でも、こんなに困難な要素がある。まして制度の改正ということになると、まったく予測ができないといったほうが正しい。今の小泉内閣が続く限り、社会保障の改革には恐らく手をつけないだろう。それというのも、小泉さん自身や、そのバックになっている「経済財政諮問会議」のメンバーの大半が、社会保障は必要ないという考え方の人たちである。これらの人たちは、健康保険は不必要だという考えで、基本的に不慮の災害や病気には自分で備えるべきだとしている。従って国が健康保険の面倒などを見る必要はない、民間保険で十分である、そのほうが経費も安くつくと思っている。アメリカと同じ考え方なのである(アメリカでも民主党はヒラリーのようにちがう意見を持っている人も多い)。
 率直にいって、今の内閣では、さすがに社会保障の全廃を正面切って主張する勇気は持っていない。そんなことをすれば、恐らく内閣の命取りになる。そこで小泉内閣は、社会保障的な考え方は排除して、財政の辻褄合わせだけをしている。そのため、医療費そのものを削減したり、国民の自己負担を一挙に三割にするというようなことを財務省にやらせてきた。日本の国民は大人しいうえに、ものごとを善意に解釈する人が多いためと思われるが、日本医師会のような一部の医療団体は反対しているものの、国民から反発の声はほとんど上がっていない。この議論をしないと問題はすっきりしないのだと思う。
 医療を考えるのは一筋縄ではいかない。いろいろの問題が複雑にからみ合っているうえに根本的な問題もある。医療の本質は技術、人間性などの基礎的なもののうえに成立しているが、もちろん医療費の問題も無視できない。そのため「医療経済学」という新しい分野も誕生している。私たちはマクロとミクロの両方から医療を十分に検討したうえで、政策としての展開を考えねばならない。最後にもうひとこといいたいのは、政治家というのはもっと政策集団であってほしい。今の政治家は"集金集団"に堕しているのではないか。官僚任せでやってこれた時代は過去になりつつあると思う。
執筆者紹介
水野 肇(みずのはじめ)
医事評論家。大阪外国語大学ロシア語科卒業。山陽新聞社記者、社会部デスクを経て現在に至る。
社会保険審議会、医療審議会の委員を歴任。
著書に『日本医療のゆくえ』(紀伊國屋書店、一九九九年)、『社会保障のグランド・デザイン』(紀伊國屋書店、二〇〇〇年)、『誰も書かなかった日本医師会』(草思社、二〇〇三年)ほか。
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