こころとからだを科学する
教育と医学
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巻頭随筆
生涯を見すえた障害児支援を望む   村田豊久
 障害児支援はいかにあるべきかについては、長い間の障害を持つ方々の苦難の末やっと今日の障害児観が生まれ、当事者の思い、願いにかなう支援の方法が模索されるようになった。そしてこの数年、障害児教育や障害児福祉の行政でもそれが円滑に遂行されるようにという配慮のもと、いくつかの施策が立ち上げられた。しかし障害児のこれからの人生が豊かなものであるためには、もっと進めてもらいたいことがいくつもあげられる。
 まずは障害児支援が連続性のあるものになってほしい。日本の乳幼児健診、一歳半時健診、三歳時健診はとてもすぐれたものである。そこで障害を持つ子どもがわかると早期からの療育が始められる。各地でその方法はいくらか異なるが、多くは母子通園という形での母親への心理的支援、子どもへの集団保育がなされる。そこでの働きかけの及ぼす効果は目を見張るものがある。母子の心理的絆はより強くなり、母親同士の連帯感は広がり、子ども週ごとに生き生きとしてくる。二年、三年たつともう障害がほとんど目立たなくなる子どもも少なくない。しかし残念ながら、このようなすばらしい就学前の障害児療育での知見が小学入学時に伝えられず、小学校での特別支援教育に生かされることが少ない。そして小学校から中学校、中学校から高等部に進学するときも同じである。それまでの療育や治療教育が寸断され、新しい方法になじめない子どももいる
 オーストラリアやニュージーランドの地方都市には、三歳児健診を二年置きに二十一歳まえ続けているところもある。十八年間の発達、成長の様子を振り返り、どの時期にはどの様なことが大切か、各教育年代のバトンタッチはどうあるべきかが検討される。すると幼児期療育も、小学校での教育も障害をみすえたものとなってくる。日本の乳幼児健診は世界に冠たる制度である。それが縦割り行政の特性によって、子どもの将来に生かしきれていない。これが解消されて、乳幼児健診を継続できる制度となるだけで障害児支援もさらに充実し、展望のあるものになるに違いないのに残念である。
 次にインテグレーションの問題について考えてみよう。障害のある人も、今は障害がなく暮らしている人も、一緒に普通にこの地域社会で生活できるようになることこそ、成熟した社会であるといわれてから久しい。未だそれが実現されているとはいえないが、それはちょっと努力、工夫で変わってくると私は思う。一般の人々は障害を持つ人の生活の様子や生きる姿を知らないためと考えるからである。はじめて障害を持つ人に接するとき、誰しもある種の緊張感、あるいは違和感を持つであろう。しかし障害を持つ人を共に過ごす時間、生活する日時が重なると、たいていの人ははじめの感慨が思い違いであったことがわかってくる。
 私が勤務している大学の近くに知的障害者の通所授産施設がある。地下鉄の駅から一キロほど、学生と施設利用者は同じ時間帯に登下校する。入学時になにかぎこちなさそうに並んで歩いていた学生もだんだんと顔見知りもできて笑顔をかわしたりしている。後から歩いていた私にはどちらがうちの学生かわからないこともある。大学の方にはいったのでうちの学生だったのかと知る。障害者が歩くと街並みが変わる。街並みが変わると、障害者も変わる、そしてみんなが変わることとは、実に言いえて妙である。
執筆者紹介
村田豊久(むらた とよひさ)
西南学院大学教授。教育と医学の会副会長。
前九州大学教授。専門は児童精神医学。
九州大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。
主著『自閉症』(医歯薬出版、一九八〇年)、
『これからのメンタルヘルス』(共編著、ナカニシヤ出版、一九八九年)、
『子どものこころの病理とその治療』(九州大学出版会、一九九九年)など。
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