こころとからだを科学する
教育と医学
慶應義塾大学出版会トップヘ
教育と医学トップヘ
編集後記
第53巻6号 2005年6月
▼4月25日朝の尼崎市JR福知山線での快速列車の脱線事故は、JRの安全神話を一挙に根底から覆しました。JR、特に新幹線愛好者の私としては、無念でなりません。今は、事故再発防止の貴重な教訓を学びとることが、犠牲者への最低限の償いだと思います。個別的な「ヒューマン・エラー」よりも、職場環境や安全文化の再点検を急ぐべきです。
▼今月の特集テーマは「生と死の教育」です。生きる意味とは何か、如何に死すべきか、など、重い課題に挑戦する内容です。読者の方々も、ご一緒に考えてくださる、という前提で編集しております。
▼さて昔は、「生・老・病・死」が、日常的に観察されました。しかし、今は「老・病・死」が非日常のものとして現実世界からは締め出されています。その分、「生」もまた大きく歪んでとらえられがちです。
 この号では、そうした現代日本の社会状況を踏まえながら、「生命の尊厳」と「人生の質」、自己における「死」の意味などを取り上げました。
▼「メメント・モリ」という戒めがあります。「死を想え」という意味です。しかし近年の長寿社会・日本では、「死を想う」どころか、「人間、この死すべきもの」という基本認識さえも稀薄になろうとしています。しかし、にもかかわらず、死は厳然としてわれらの日常性の中に在るという事実に変わりはありません。
▼近年はまた、気軽に殺人(他殺)を犯す者が増えたようです。一方、自殺も増えました。「ネット自殺」などの新型の「集団自殺」も報じられています。日本には、かねてから「心中」というコトバがあります。自分も死ぬが、「他人(肉親)を道連れにする」というもので、いずれも「殺人」行為に他ならないのですが、わが国では当事者自身も世間も、これを「殺人だ」と厳しく咎めだてすることをせず、むしろ同情的です。「自殺」も「心中」も、ともに「殺人」の一種であることに変わりはないということを、再確認する必要があります。  ただし、「尊厳死」の問題があります。これは、個人の意思による「自死」行為ですが、今後、長寿社会における大きな課題となるでしょう。
▼3月20日(日)朝の「福岡県西方沖地震」(震度6弱)にあたりましては、「教育と医学の会本部」(事務局:九州大学教育学部内)あてに、早速お見舞い電話などを賜り、ありがとうございました。地震の規模(マグニチュード)はそれほどでもないのですが、震源が市街地に近くかつ浅い(10km)ため、博多の人々はほとんど一世紀ぶりに「大地震」を体験しました。4月20日(水)に震度5強の余震がありましたが、今後次第に終息に向かうだろうとの予測が出されておりますので、ご放念ください。
▼次号のテーマは、「学校での安全教育と災害後教育」です。今回の福岡での地震災害後の心のケアを行っておられる福岡市精神保健福祉センター所長の西浦研志先生にも、急遽ご執筆をいただく予定でございます。ご期待ください。  
(安藤延男)
前の号へ 次の号へ