教育と医学

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特集にあたって2019年11・12月

「特別支援」の可能性――「障害」からの脱却

徳永 豊

 この国の特殊教育は、明治五年の「学制一部改正」にある「廃人学校(現在の特別支援学校)アルヘシ(あるべき、現在はないけど、検討する必要がある)」との発想から、盲や聾、精神薄弱、肢体不自由、身体虚弱等である者の学校教育を発展させてきた。そして、平成十九年に、特殊教育の制度を改め「特別支援教育」の制度とし、一二年ほどの年月が経過している。

 特殊教育の対象である児童生徒は、盲や聾、精神薄弱、肢体不自由、身体虚弱等の子どもであった。昭和二十八年にこの教育を整備していく上で、その判別基準が検討された。その際には「教育上特別な取扱いを要する児童生徒」とされ、そこには「性格異常者」なる項目も含まれていた。対象の児童生徒は教育上の難しさから、「教育上特別な取扱いを要する」とされた。「障害」という用語が使われていない点が、その後の教育学的議論において意義深いと考えられる。

 その後、昭和三十七年に、「言語障害」「二つ以上の障害をあわせもつ者」など、公的文書に「障害」という用語が使われるようになった。また、昭和四十四年には「心身の障害」が使われ、しばらくはそれがブームであったが、ある時から使われなくなった。

 このような経緯で、特殊教育や特別支援教育は、その対象を、盲や聾、精神薄弱、肢体不自由、身体虚弱等から、「障害のある者」と単純に理解されることが多くなり、さらに「発達障害」がその対象に加えられた。小・中学校における支援が拡大する中で、特別支援教育は、ASDやLDやADHDを含む障害のある子どもの教育という考え方が一般的になった。

 しかしながら、この「障害」という発想とその単純化が、特別支援教育を実践的に展開していく上で矛盾を生じさせ、また、今後の学校教育の充実を検討する際に、支援への理解が限定的となる原因となっている。具体的・実践的な矛盾とはすなわち、その子どもに支援が必要か否かの判断は、その子どもに障害があるか否かの判断より、時間的にはかなり前に行わなければならない。障害があることが明確になってからの支援では遅く、事後対応的になってしまう点である。また、今後の学校教育を考えると、具体的な支援を必要としているのは、障害のある子どもだけでなく、病気の子どもや日本語でのやりとりが難しい子ども、不登校の子どもなど幅広く、それらの子どもに、どのように支援を提供していくかが大きな課題となっている。

 このような状況を踏まえて、この特集では、特別支援教育の現在とその将来的な広がりを考える企画とした。その出発点は、現時点で「教育上特別な取扱いを要する児童生徒」とは何か、を改めて検討することではないだろうか。そして、障害のある児童生徒のための学校の教育である「支援教育」そして、小・中学校における幅広く、多様で、福祉的で、リスクに対応する、追加的な支援を検討するものとして「特別支援」を位置づけ、その制度的な仕組みを検討することが必要になっている。幅広い「特別な取扱いを要する児童生徒」のための支援を、国としてどう位置づけ、充実させていくかは、日本の学校教育の改善においては避けられない課題となっている。

執筆者紹介:徳永 豊(とくなが ゆたか)

福岡大学人文学部教育・臨床心理学科教授。公認心理師、臨床心理士。専門は特別支援教育、発達臨床。九州大学大学院博士課程単位取得退学。国立特別支援教育総合研究所を経て現職。著書に『重度・重複障害児の対人相互交渉における共同注意』(同、二〇〇九年)、『障害の重い子どもの目標設定ガイド』(編著、同、二〇一四年)、『障害の重い子どの発達理解ガイド』(編著、同、二〇一九年)など。

編集後記2019年11・12月

 大学院で指導した女性の結婚式に招待してもらった。新婦の紹介を兼ねて祝辞を述べるよう依頼された。彼女は脳性麻痺のため車椅子を使用して通学し、勉学と研究に励んだひとである。社交的で、聡明なひとであり、実習にも積極的に取り組み、大学院の指導に関して特に苦労はなかった。彼女との思い出話などを披露して私の役割はなんとか終えた。新郎新婦の友人たちの心温まるスピーチが続き、披露宴はなごやかな雰囲気のまま進行した。

 余興は小学校時代の担任である恩師3 名( 1 − 2年の担任、3 − 4 年の担任、5 − 6 年の担任)によるギターと歌の演奏だった。国民的なスター歌手、福山雅治氏の結婚式の定番ソングである。年配の男性3 名によるギターを弾きながらの熱唱に会場は沸いた。3 人の恩師が福山氏に負けないくらい格好よく見えた。

 彼女の小学校時代は、特別支援教育が始まっておらず、合理的配慮という言葉も使われていなかった時代である。通常学校のなかで肢体不自由のある生徒を指導することに戸惑いを感じたことがあったかもしれない。しかし、3 人の先生方は、様々な配慮と工夫を自然な態度で続け、丁寧な引継ぎをしながら、入学から卒業まで彼女を見守ってきたのだろう。この日を迎えたことを喜び、彼女に幸せになって欲しいと願う演奏に私の胸は熱くなった。

 生徒の個性や事情に応じた教育・支援が継続的に行われることが当然のことと認識される現在、すべての生徒の豊かな学びを支えるためには学校教員のさらなる学びが求められる。教師の絶え間ない努力を支えるのは、いつの日か教え子の夢や希望が叶うことであり、大人になった教え子の幸せの涙ではないだろうか。

 本号の特集は「特別支援教育の到達点とその将来」である。教育で大切なことは生徒ひとりひとりの未来や夢を見据えながら学びのあり方を考えることだろう。国際的な視点も大切にしながら、豊かな共生社会を支えるこれからの特別支援教育について考えたい。

(古賀 聡)

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